関西発、日本文化と韓流をフュージョン
ハンアンスン氏 参照:https://www.refa.net/refa_journal/platinum_life/vol03_b.html
韓 安順(ハンアンスン)は、1976年大阪生まれの在日韓国人3世です。日本と韓国、両方の歴史と文化を知る彼女は、その独特の感性を活かして、巧みに両者をフュージョンしたコレクションを発表してきました。本人は「自分で特に意識したことはない。ただ、韓国はルーツの国だし、家庭や民族学校で韓国文化に触れて成長してきたから、自然に影響は出ているかもしれない」と語ります。「今、注目される日本のデザイナー達」 の第1回は、ハンアンスンをご紹介していきましょう。
手作りのプレゼントを送るのが好きだった少女
大阪の生野区で育ったハンアンスンは、高校まで韓国系の学校に通っていました。韓国系メディアの取材に対して、「裁縫が得意だったってことはないです。ただ、小中学生の頃から自分で手作りしたものを人にプレゼントすることが好きでした」と話していて、特に服づくりを意識したことはなかったようです。
高校を卒業するときに進路について考えた彼女は、手に職をつけようと考えました。同時に、「今まで通ったことのない、日本の学校にも通ってみたい」という思いもあったそうです。その両方を兼ね備えた進路こそが、大阪にある創美苑服飾専門学校でした。
この運命的な進路選択によって、手作りのものが好きだった少女がは、その大きな才能を開花させます。デザイナー、ハンアンスンの人生が始まったのです。
「デザイナー」を意識せずに、ただ服をつくりたかった
参照:https://www.mindan.org/old/front/newsDetail43ce-3.html
1998年、服飾専門学校の卒業と同時に、自らのブランドである「HAN AHN SOON Ltd.」を設立します。自分の名前を前面に出したのは、「ハンアンスン」という語感が、日本の友人たちにも好評だったからだそうです。
同年には大阪のギャラリーでデビューコレクションも開催。韓国の民族衣装に使用される色鮮やかなアンテーク生地と、日本で流行していた最新のモードを組み合わせた、斬新な作風は当時のファッション界でも注目を浴びました。
自分のブランド展開とともに、彼女はアパレル企業「ルシェルブルー」でも働いていました。当時の彼女は、「デザイナー」ということを意識せずに、単純に「服をつくりたい」という意識だけで、無心に服づくりに没頭していたといいます。ブランドを立ち上げたとは言え、資金もスポンサーも持たない彼女は、とにかく自分のできることだけを、がむしゃらにおこなっていたのかもしれません。ただ、その姿勢と、そして類まれなる才能が企業を動かすこととなります。2000年にはルシェルブルーとデザイン契約を結ぶこととなるのです。
それからのハンアンスンは大きく飛躍していきます。大阪コレクションの新人ジョイントショーに選定されたほか、淡路「花の万博」コスチュームのデザインを依頼され、NHKドキュメンタリーにて特集されるなど、関西を代表する若手ファッションデザイナーとして認知されることになります。
昭和を意識したコラボレーションが話題に
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2002年には大阪コレクションに参加。翌年の2003年からは、東京コレクションでの発表を開始します。そして、この最初の東京コレクションこそ、ハンアンスンの名前を全国的に広めるものとなりました。
コレクションのテーマは「昭和」。その構成は、昭和を象徴する歌手である、「ピンクレディー」や「山口百恵」らの楽曲をアレンジしたバックミュージックに合わせて、昭和のキャラクターやロゴの入ったTシャツやニットを来たモデルが登場するというものです。これを機に阪神タイガースコラボ衣装の製作、アニメ制作会社「タツノコプロ」とガッチャマン、マッハゴーゴー、あくびちゃんなどのキャラクターとのコラボが実現します。この遊び心のあるコンセプトは大きな話題となり、ハンアンスンは、さらなる注目を浴びることになります。
そして、世界へ
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東京コレクションでは、その後も「フランス女優」、「HEART」、「BLACK」などのテーマでコレクションを発表し続けます。「かわいい大人の世界観を独自色彩感覚でエネルギッシュに表現」と評価され、セレクトショップである「リステア」、「ルシェルブルー」にて売上を伸ばします。また、新宿伊勢丹、梅田阪急などの有名百貨店にてショップも展開。韓国KBSで1時間ドキメンタリーとして放送されるなど韓国メディアも注目して、その頃の日韓親善大使だった藤原紀香さんがドレス着用するなど、多くの女優、タレントがメディアにて着用し、一躍ブランド知名度は向上しました。
さらには、海外でも人気がある日本ブランド、ユニクロやハローキティとのコラボレーション、釡山コレクションの招待デザイナーとして出展、ニューヨークの名門 F.I.T.(ファッション工科大学)大学美術館にての展示など、次第に活躍の場を広げていきます。
2013年には、「手塚プロダクション」のリボンの騎士とコラボレーション。2014年には傘下となっていた「マークスタイラー」から独立し、日本の技術とクリエーターが出会うプロジェクト「EN」で「江戸切子」×「HAN AHN SOON」に参加しています。
2015年には、NYファッションウィーク公式の「TOKYO RUNWAY meets NEW YORK」参加して、当時世界的にも人気のあった「ふなっしー」ともコラボ。また、タイアップSHOP「New York Seaport Studios」 にて海外初のPOP-UPを開催して、ガッチャマン× HAN AHN SOON を新たにコラボし、NYで発表するなど、世界でも注目される存在となっていきます。
進化してゆくハンアンスン
参照:http://www.hanahnsoon.com/
世界的に注目されるブランドとなった、ハンアンスン。その根底にあるのは、「カワイイ」を大人の女性が着られるような高いデザイン性と、ほかのブランドには見られない独自の色使いでしょう。多くの女性に受け入れられる秘密を探っていきましょう。
人気アイテム「プリーツドレス」の秘密
参照:https://wear.jp/item/28681029/
近年のハンアンスンの人気アイテムの一つといえば、「プリーツドレス」です。エレガントなシルエットで、着やすさにも定評のあるアイテムはどのようにして生まれたのでしょうか。
ハンアンスンは、デザイナーとして働く女性であると同時に、母親でもあります。周囲には同じように働きながら子育てをしている女性が多く、そのような忙しい人たちでも、気軽に、そして煩わしくないようにおしゃれを楽しんでほしい、という思いが込められているのです。
ハンアンスンのプリーツドレスは、体型が細身に見えるだけではなく、前後どちらでも着用が可能です。このため、V字の深さや背中のリボンで肩幅の調節も可能。シワにもなりにくく、軽量なので、旅行や出張のときにも便利です。また、基本的にはクリーニングが推奨されていますが、「洗濯機でネットに入れて丸洗いしても、プリーツが取れてしまったことは一度もないです(笑)」と、ハンアンスン自身が語るように、本当に気軽に着られるアイテムと言えるでしょう。
現在も静かに輝き続けるブランド、ハンアンスン
参照:http://www.hanahnsoon.com/
2009年にはBNN社が選ぶ日本のファッションデザイナー100人に選出されたハンアンスン。ご紹介してきたように、多くのモードを世の中に発表してきました。
ただ、2022年現在では、実店舗を持たずにオンラインショップや直売会で商品販売をおこなっています。現在のブランドコンセプトは「エレガント・フェミニン」。「色彩美、レースにシルク、ファンシーなツィードなどフェミニンな素材をミックスしながらも、上品で女性らしいスタイル」を、ワンピースドレスをメインアイテムにして展開しています。
現在のハンアンスンは、一時期のような注目されるようなイベントやショーなどには参加していません。しかし、創業当時のように、独特の美しい色使いは健在ですし、結婚をし、母になり、年齢を重ねた風格のようなものが加味されています。これからも、ゆっくりと着実に大人の女性のための洋服を制作し続けてくれることでしょう。「ハンアンスン」は現在も静かに輝き続けています。