東京オリンピックの国歌斉唱を彩ったデザイナー
小泉智貴氏 参照:https://tokion.jp/2020/10/26/the-alchemist-tomo-koizumi/
2021年7月23日、巨大な国立競技場の一角に眩しいほどのライトが集中し、歌手のミーシャさんが国歌斉唱を始めます。コロナ禍でおこなわれたオリンピックとして世界が注目する中、白色の光の中に浮かび上がったのは彼女が着用するボリューミーなレインボーカラーのドレス。「多様性」を表現しているとも言われる、この美しいドレスは、2019-20年秋冬NYファッションウィークで圧倒的な支持を得て、一夜にして世界的デザイナーとなった小泉智貴氏の作品です。今回は、この多くの人を魅了した斬新なモードを発信する、新進気鋭のデザイナー小泉智貴氏をご紹介します。
ジョン・ガリアーノに憧れて
小泉氏は1988年生まれ、千葉県の出身です。ファッションへの興味が強くなったのは14歳の時、当時ディオールに在籍していた革新的なデザイナー、ジョン・ガリアーノがきっかけでした。
雑誌で見たガリアーノの作品を見た時、小泉氏は「「ドレスの写真を見た時の衝撃は今でも覚えています。それまで特段ファッションに興味があったほうではないけれどガリアーノの作品は、ファッションやアートの表現を超越した圧倒的な美しさを宿していて、心に深く刺さった」と言うほどに、少年の心を揺さぶったのです。
それからの小泉氏は、中学生ながらミシンを買ってもらい古着を解体するなど、独学で洋服づくりを学んでいきます。進学先は千葉大学の美術教育を専攻、スタイリストのアシスタントをしながら、当時は編集者かスタイリストを目指していたと言います。
それがデザイナーに目標が変わったのは、自らが製作したドレスが偶然雑誌に掲載され、セレクトショップから引き合いがあったことがきっかけでした。その後も「衣装」としての注文が続き、デザイナーとしての道を歩み始めます。
日暮里の繊維街からニューヨーク・コレクションへ
小泉氏は、パフュームやドリームズカムトゥルーなど、有名アーティストに衣装を提供し、業界では衣装デザイナーとしての地位は確立していましたが、一般的な知名度はほぼありませんでした。
そこから世界的なデザイナーとも言われるようになったのは、冒頭でもご紹介したボリュームのあるカラフルなドレスが大きく注目されたからでした。
ただ、この TOMO KOIZUMIブランドを象徴するドレスができたのは、偶然と言っても良いほどの何気ない日常からでした。生地を販売する店舗が多く軒を連ねる東京の日暮里繊維街。よく素材の買い出しに訪れるその街で、たまたまリーズナブルに販売していたオーガンジーが目についたそうです。
小泉氏が「これで何か作れないかなと。フリルやボリュームのあるドレスが好きだったこともあり、何色も生地を重ねて生まれたのがラッフルドレスです」と語るように、日常の何気ないアイデアから生まれたドレスでした。しかし、このドレスが海外で大きな注目を浴び、瞬く間にニューヨークコレクションでショーを開催することになるのです。
ファッション界に衝撃を与え、一夜にして世界的なデザイナーへ
ニューヨークファッションウィークの模様 参照:https://tokion.jp/2020/10/26/the-alchemist-tomo-koizumi/
最初はVOGUEイタリアのサラ・マイノへのプレゼンから始まりました。そこからSNSを通じてムーブメントは大きく広がっていきます。大物スタイリストであるケイティ・グランドの目に止まった小泉氏のデザインは、2019-20年秋冬ニューヨーク・ファッションウィークに招待され絶賛を浴びます。小泉氏は「ニューヨークで作品が人目に触れるだけでラッキー。ショーが終わったらニューヨークをのんびり観光でもしようと思って渡航した」と振り返りますが、結果はショーが終了しても観光の時間などはありませんでした。それは、多くのバイヤーからの問い合わせ、サンプルの貸し出しなどでアメリカ滞在期間中は忙殺されてしまったからです。このように一夜にして世界的なデザイナーになった小泉氏ですが、洋服に対する根本的な考え方はブレることなく、堅持しています。
コスチュームからブランドへと変わった
参照:http://tomo-koizumi.com/
ニューヨークでのショー以前は、コスチュームとして扱われることが多かった小泉氏の作品ですが、ショーを境に「ファッションブランド」としてカテゴライズされることが多くなったと言います。
それとともに、Tシャツや小物など多くのコラボレーション企画にも参加しています。「企業と一緒にもの作りをすることは自分にとって挑戦であり、学びもとても多かったです。コラボするからには1+1=2ではなく、それ以上のシナジーが生まれるように、作る意味があるものを意識しました」と語るように、積極的な姿勢を見せます。
しかし、一方では「一般の方が買えるような量産型の服も作ろうかと考えていたんです。でも、新型コロナウイルスが猛威を奮い始めてから出張が減ったので、じっくり考える時間が増え、『やっぱり自分のやりたいことをやろう』と初心に戻ることができました」と、自分の考えを述べています。
クリエイティビティとビジネスは分ける
参照:http://tomo-koizumi.com/
「TOMO KOIZUMI」でプレタポルテを生産しない理由を、小泉氏は次のように述べます。「クリエイティビティとビジネスは分けています。性格的に、なんでも器用にやれないため、ビジネスや数字にとらわれるといった、クリエーションに余計なことは考えたくないから」。
そして、「今後はコラボレーションなどで多くの人が僕の作品に触れられる機会が増えることを願っています。億万長者や名声を手に入れるよりも、非日常的なファンタジーな世界観を多くの人と共有することを目的にしていきたい」とも語っています。
「型にはまらない」ことを大切にする小泉氏、今後もその独自路線を貫き、素晴らしいモードを世界に見せてくれることでしょう。