今、注目される日本のデザイナーXXIV~大浦 雲平(おおうら うんぺい)~

身近にアートを感じる環境で育まれたセンス


大浦雲平氏 参照:https://be-at-tokyo.com/projects/beatcast/2121/

大浦雲平氏は東京生まれのファッションデザイナーで、2013年に自身のブランドである「CLOUD LOBBY(クラウド・ロビー)」を設立しています。デビュー以来、そのデザインセンスは国内外で大きく評価されており、現在ファッション業界から大いなる注目を浴びているデザイナーの一人です。そのデザインセンスは、美大の教授を務めていた父親や、絵画教室を主宰していた母親によって、幼い頃から身近にアートを感じられる環境が整っていたからだと言っても良いでしょう。まずは、大浦氏の生い立ちから学生時代をご紹介していきましょう。

自作で服づくりをしていた高校時代

小さい頃は、ファッションにまったく興味がなかったという大浦氏。それが変化したのは、洋服好きだったという母親の影響だったと言います。最初は着るだけで満足をしていたようですが、高校生くらいになると、自分で欲しい服を自作するようになりました。「持っている服を解体して構造を調べたりとか、自分で手で縫いながら服をつくるようになりました。そうして、次第に高校卒業後は服飾の学校へ通いたいという気持ちが強まっていきました」と語るように、ファッションへの思いが日増しに強くなってゆきます。
ただ、両親は若い頃からファッションだけに絞ることには消極的だったようで、話し合いの末、さまざまなジャンルのデザインを学べる、東京造形大学へと進学をしました。

海外の名門大学へ入学、そしてパリへ


参照:https://www.umpei-ohura.com/archisanal/

大学ではファッション関連の学部はなかったものの、ファッション系のサークルに参加します。ファッションショーも開催して、大浦氏は1年生ながら服づくりを担当。その体験は、「あのときの体験がデザイナーとしての原風景になっています。ファッションショーのバックヤードって、何物にも代えがたい快感があるんです。当然みんなでショーをつくるわけですけど、デザイナーはその花形ですし、やり終わったあとにみんなで達成感を感じられる。そこまでの道のりは険しいんですが、やりきった爽快感は本当に最高で。あの感覚をまた味わいたくて、今ブランドをやっているくらいです」と語るほど、将来に影響を与えた体験だったようです。
貴重な体験をした大学を卒業後、大浦氏は知見を広げるべく海外へと向かい、有名ファッションデザイナーも多く輩出しているベルギーのアントワープ王立芸術アカデミーへと入学しました。
しかし、同アカデミーでは服づくりの実務が多く学べないことに不安を募らせ自主退学。26歳のときにファッションの本場であるパリに渡り、本格的にファッションデザイナーを目指すことになります。

東京とパリ、2つの拠点から発信する斬新なデザイン


参照:https://www.umpei-ohura.com/collection/2021-cyber-hippy/

渡仏した大浦氏は、パリで本格的にパターン技術を習得したり、フランス語を学んだりと忙しい日々を送ります。その甲斐あって、パリではパタンナーとしての仕事を得られるようになります。また、パリ滞在中に自身のブランド「CLOUD LOBBY(クラウド・ロビー)」を立ち上げ。日本の企業と組んで、パリを拠点とした企業を設立しようと試みます。しかし、その計画は頓挫し、大浦氏はパリで大きな苦境に立たされてしまいます。

話題を呼んだパリでの衝撃的なアクション

大浦氏がパリでの苦境を脱するとともに、大きな話題となった出来事があります。それは、フランスでのビザがなかなか下りないことを逆手に取って、弁護士が提案したゲリラ的なファッションショーでした。
その会場となったのは、なんと、パリの最高裁判所。もちろん、使用許可はなくゲリラ的な試みでした。一歩間違えば、逮捕、強制送還もあり得る試みでしたが、結果は大浦氏に有利となりました。パリの有名新聞がショーを取り上げてくれて、「特別な才能の青年にビザを認めるべき」との論調が掲載されたのです。
加えて、このニュースは日本にも伝わり、「CLOUD LOBBY(クラウド・ロビー)」の知名度と、売上は大きく伸びる事となったのです。

東京とパリ、2つの拠点だからこそ、できること


参照:https://www.umpei-ohura.com/collection/2021-cyber-hippy/

もちろん、一時的な話題だけでブランドが継続できるものではありません。大浦氏の繊細に構築されたデザインが、多くの人から受け入れられた結果、現在でも注目されるブランドになっているのです。
そのコンセプトは、東京都パリ、2つの拠点を持つからこそ提案できるもの。和服と洋服、その構造だけではなく、歴史的な背景までも包括したものです。
「服に限らず、日本人ってどこか余白を残すようなところがあるじゃないですか、間の文化というか。僕もそうしたことを意識しながら服をデザインしていましたし、それはパリにいたからこそ気づくことができました。それによって自分のポジションを明確にできた気がします」と語るように、大浦氏は今後はさらに日本独特のファッションシーンを創造してくれるデザイナーとして期待される存在なのです。