今、注目される日本のデザイナーXXXI~高橋 盾(たかはし じゅん)~

ストリート文化を独自に発展させたモードを構築


高橋盾氏 参照:https://www.modescape.com/magazine/undercover-juntakahashi.html

高橋盾氏は、1969年群馬県桐生市の生まれです。文化服装学院に在学中の1990年に自らのブランド「UNDER COVER(アンダーカバー)」を設立。ストリート文化とモードを融合したとも言われるオリジナリティ溢れるルックで、圧倒的な人気を博します。毎日ファッション大賞などの受賞歴もあり、パリのファッションウィークにも進出。ナイキやヴァレンチノなど、著名なブランドとのコラボレーションも話題になりました。今回は、ストリート文化を取り込み独自のスタイルを構築しているデザイナー、高橋盾氏をご紹介します。

少年時代から影響を受け続けてきたパンク

高橋氏には中学生時代から大きな影響を受けてきたものがあります。それが「パンク」です。一概にパンクと言っても、概念が難しく、毛嫌いする人も多いかもしれません。
元々、パンクというのは、階級社会であるイギリスで、それに反抗する若者から生まれたもので、「不良」などという意味がありました。しかし、パンクバンドの元祖とも言える「セックス・ピストルズ」の登場により、反社会や反通念といった思想的な面も強調され、1970年代から若者カルチャーとして発展してきました。
高橋氏もセックス・ピストルズから大きく影響をされ、中学生の頃からパンクファッションに浸っていたといいます。そこからファッションへのあこがれが高じて、文化服装学院に入学。在学中に立ち上げた自らのブランド「UNDER COVER」で最初に製作したアイテムもパンクロックを意識したプリントTシャツでした。

デザイナーの王道ではない道を歩む異端児


参照:https://undercoverism.com/collections/detail.php?id=1029

通常、ファッションデザイナーを目指すのであれば、在学中から各種コンテストに応募を重ねたり、卒業後にはアパレル企業に就職をして、さまざまな経験を積み独立するといった道が常套です。
しかし、高橋氏の場合は、そのような既存の仕組みに対するこだわりは、一切なかったといいます。そのかわり、渋谷などのショップで自分のデザインしたアイテムを販売し、それが大きく話題となっていきました。まさに、パンクの概念と同じく、既存の道にはとらわれず自ら道を開いていったのです。
バイヤーに勧められて初めてショーを開催したのが、1994年。そこからは、パンクロックのごとく、東京コレクションからパリ・コレクションと、疾走していったのです。

パリで進化したストリートとモードの狭間


参照:https://undercoverism.com/collections/detail.php?id=1053

1997年には毎日新聞社 毎日ファッション大賞新人賞受賞、2001年には毎日ファッション大賞を受賞。その後、2002年にはパリコレへの進出を果たしました。その頃の高橋氏は、パリコレを目指すことに対して、強い衝動を持っていたといいます。そして、その結果、高橋氏の思いはパリでさらなる高みへと進化したのです。

世界を見てわかったこと


参照:https://undercoverism.com/collections/detail.php?id=1053

東京コレクションで10年間発表を継続して、高橋氏はある不満を感じていたといいます。それは、発信者である自分と、受け手側の齟齬でした。洋服の説明だけに終始するメディアに、もっと自分たちが発信している大切なことをわかってほしいという、気持ちが強くなっていたのです。
高橋氏が、その強い気持ちをぶつけたいと、目指したのがパリへの進出でした。世界で自分がどう受け入れられるかを試してみたい気持ちもあったといいます。
パリコレを経験した高橋氏は、「 自分がやってきたことはこういう言葉で評価されるのか、と。 当時、モードとストリートの間でもがいていたけど、パリではそれを業界が受け入れてくれて自分に興味を持ってくれた。 自分の作ったものを何かに迎合して合わせて変えることなくストレートに勝負して、それがちゃんと手応えあったのが嬉しかった」と語っています。パリコレでも経験により、洋服に対する考え方はさらに進化し、大きな転換を図れたということでしょう。

こういう時代だからこそ変革すること

高橋氏は現在、コレクションを画像で発表しています。「パリでショーをやるつもりでしたが、渡航が難しかったからしょうがない。これまでもその時々の感覚で写真集やウェブなどいろんな方法で発表してきたので、別にこだわりなく写真に切り替えました。ただ服を見せるのではなく、物語や世界観を見せたかった」と、語るように、時代ごとの見せ方を工夫する姿勢は、既存のルールにこだわらない高橋氏らしいと言えるかもしれません。
「服って音楽や映画と同じで、着ることでその人が変わっていけるパワーがある。こんな大変な時期だから、ポジティブで楽しく過ごすためのもの、心の余裕につながるようなものを見せていきたい」とも語るように、これからも個性的な発想で独自のモードを創り出してくれることでしょう。