世界のファッション文化を知りたい! イタリアと“プラダ PRADA”編 

“ファッション”のイタリア

 

「イタリア」と聞いて、パッとイメージするのは何ですか?

「ローマのコロッセオ、ミラノのドゥオーモ、フィレンツェの教会や美術館!」

「パスタやピッツァ、イタリアングルメ!」

「サッカー!」

「ミケランジェロやダヴィンチのアート!」

イタリアは、世界各国と比べても文化資源がすごく豊かですよね。

古くは古代ローマ時代から学問も盛んですし、アート分野も素晴らしい芸術家を山ほど生んでいます。

日本に暮らす人なら1度は耳にしたことがある言葉「全ての道はローマに通ず」も、かなりうなずけてしまいます。

イタリア文化は、とんでもなく歴史が長くて奥が深いのです!

観光、美食、スポーツ、芸術と、私たちを惹きつける魅力がたっぷりのイタリアですが、忘れずに語らなくてはならないのは、もちろん“ファッション文化”です!

あなたの憧れの「あの高級ブランド」も、最初はイタリアから始まって、世界のファッショントレンドを引っ張ってきたのです。

イタリアの国風は、南ヨーロッパらしく開放的で、陽気な雰囲気。

イタリアに暮らす人々も、おおらかで明るい気質の人が多い、というイメージがありますよね。

 

そしてイタリアから生まれたファッションアイテムも、大胆で、ラグジュアリーで、とても華やかなデザインのものが多い気がします。(プラダ・グッチ・ドルチェ&ガッバーナのアパレル製品など)

ファッションデザインにも、明るい陽気なお国柄がしっかり反映されている、ということなのでしょう!

この記事では、世界各地の文化を「その国発祥のファッションブランド」から見てみたいと思います。

それでは、絢爛豪華なイタリアのファッション文化を覗いてみましょう!

 

世界のオシャレ女子の永遠の憧れ プラダ

 

世界中のオシャレ女子から支持されるファッションブランド、プラダ PRADA。

日本の女性にも絶大な人気を誇り、20代女性の憧れのお財布ランキングや、憧れのバッグランキングには、必ずプラダの品物がランクインしている…そんなイメージがあります。

ピンクや赤、グリーン、ベージュなど、店頭に何色も取り揃えられた「プラダ」のキュートなお財布、バッグ。確かに、女子のおしゃれ心をくすぐる可愛らしさですよね!

プラダも、文化大国・イタリア発祥のファッションブランドです。

プラダ家の兄弟ふたりが、イタリア・ミラノで開いたお店が、ブランドのスタートでした。

 

プラダは、現在は多くのアパレル品や、ラグジュアリー商品を展開しています。靴、バッグ、お財布、婦人服(紳士服の展開は2007年終了)、香水など…。

どの品物も思わず「うわあ~ステキ!」と呟いてしまうような、華やかでオシャレなデザインが特徴です。

 

プラダ兄弟が作った革製品が起こした革命

 

1931年(大正2年)にプラダ兄弟が始めた1号店の店名は「Fratelli Prada」(フラテッリ プラダ)。

そのものズバリですが、「プラダ兄弟」という意味の店名です。

この店は、当初は皮革製品の専門店で、ワニ革などの希少で質の良い皮革を取り寄せて、丁寧に革製品を製造し、販売していました。

ハイクオリティな自社製皮革製品を扱う「フラテッリ プラダ」は、イタリア上流社会でたちまち大評判になり、開店からたったの数年で、イタリア王室さえ顧客になるほどでした。

創業してすぐそこまでの発展を遂げるなんて、ホントにスゴイですよね。

プラダ兄弟の作るような斬新で上質な皮革製品は、それまでのイタリアには存在しなかったのでしょう。

それがどれだけ革命的なことだったのか、プラダの作った商品がどれだけ素晴らしい素敵なものだったのか、よくわかりますね。

 

しかし第一次世界大戦から第二次世界大戦中は、戦争の影響によるイタリア国内の物資不足によってプラダ兄弟も質の良い革が手に入れられなくなってしまい、よい皮革製品を作ることも出来ませんでした。

そのうえ、戦時中は着飾る人々もおらず、上質で高級な皮革製品のニーズも少なくなっていました。

そして第二次世界大戦が終わると、イタリアは共和制となって、王政が廃止されます。

「イタリア王室御用達店」という看板も、もはや掲げられず、世の中の流れにおされてどんどんプラダの経営は悪化します。

この間の経営悪化に伴い、プラダ兄弟の弟は「フラテッリ プラダ」を離脱することを決め、その後は兄のマリオ・プラダが事業を切り盛りしましたが、1958年にそのマリオも亡くなってしまいます。

世界が驚いた“プラダの大逆転劇”の立役者は誰?

 

プラダ社の社史上は、第一次世界大戦からここまで、とても暗い、大変な時代だったのでしょうね。

しかし、面白いのはここから。

プラダ社は、イタリアのファッションブランドとして、そこから大逆転ともいえるほどの成功と名声を世界でつかみ取っていくのです。

1978年、プラダ社の新オーナー兼デザイナーというポジションに、ある女性が就任しました。

その女性の名は、ミウッチャ・プラダさん。創業者マリオ・プラダの、実のお孫さんにあたる人でした。

 

ミウッチャさんは就任後すぐにその手腕を発揮し、プラダ社の長い低迷の時代を終わらせ、現在の「世界中のオシャレ女子の永遠の憧れブランド」への道を突き進ませる立役者となるのです。

ミウッチャさんは「日常を贅沢に飾る」という新コンセプトを打ち出し、現代のニーズに沿った、斬新で美しい商品の開発を進めていきます。

プラダと聞くと「丈夫で使いやすい黒いナイロンバッグ」が即座に頭に浮かぶ人も多いと思います。

ズバリ、この世界的大ヒットを飛ばした「プラダのナイロンバッグ」の開発を提案したのは、ほかでもないミウッチャさんでした。

 

“イタリア人らしさ”こそプラダ社が成功した理由?

 

ミウッチャさんのお祖父さんの、創業者マリオ・プラダは、もともと工業用防水ナイロンの「ポコノ」という素材を、旅行カバンを製造する際に使用していました。そのポコノを、ミウッチャさんは、現代的で素敵なデザインのバッグやリュックにしよう、と考えついたのです。

その後「プラダのナイロンバッグ」は、日本やアメリカなどで爆発的なヒットを記録し、プラダの看板を背負うバッグとして有名になります。

1993年、プラダ社は新ブランド設立を発表します。

ブランド名は「ミュウミュウ(MIU MIU)」。

ミウッチャ・プラダの愛称から名付けられたブランドです。

ミュウミュウは、現在ではバッグをはじめ、シューズ、洋服(ウェア)、ジュエリー・アクセサリーなど多彩な品物を展開しています。

とくにミュウミュウの洋服デザインは、フェミニンで可愛らしい雰囲気ですが、どこかイタリアらしい大らかさ、大胆さ、地中海のイメージに合いそうな明るい陽気さがあるように思うのです。

祖父であるマリオ・プラダの創業時からのスピリットを引き継いで、本当にいまの世の中に必要とされる、素晴らしい品物を開発していったミウッチャさんと、プラダ社。

「イタリアの人は、血のつながりや家族という共同体をとても大事にする人たちだ」と聞きますが、イタリア発のファッションブランドであるプラダ社のいまの成功は、祖父への尊敬の念をとても大切にしていたひとりの女性が切り拓いていったものだ、と思うのです。

 

それはつまり、イタリア人の国民性、イタリアの人たちの備えた美点が、現在の成功を引き寄せていった、ということのように感じるのです。

蛇足ですが、ミウッチャ・プラダさんは日本文学や日本文化に親しみを持ってくれているそうです!

「源氏物語」や三島由紀夫文学などにも造詣が深いのだとか。日本に暮らす私たちとしては、とっても嬉しいですよね!

 

ファッションブランドから見えた「イタリア」の景色

 

「世界のファッション文化を知りたい! イタリアとプラダ編」、いかがでしたか?

いままで持っていた「イタリア」のイメージと、ファッション文化から見た「イタリア」は、どんな違いがありましたか?

イメージ通りかもしれませんし、ちょっと予想外の面白さもあったかもしれませんね。

筆者としては、ファッション文化から異国を旅するように、世界のファッションブランドをこれからも紹介できたらいいな、と思います!

 

この記事を提供しているのはデザイナーズ・ウェアのDOW?です。

DOW?は、今まで世の中に無かった斬新で美しいファッションを、デザイナーのみなさんと一緒に提案したいと考えています。