【Vol.3】バレンシアガを彩る5人のデザイナーたち

フランスを代表するラグジュアリーストリートブランド「BALENCIAGA(バレンシアガ)」を探るシリーズ最終回の今回は、バレンシアガに関わった歴代デザイナーをご紹介します。

クリストバル・バレンシアガから始まり、2023年現在のデムナ・ヴァザリアまで、どのようなデザイナーがバレンシアガを支えてきたのでしょうか?

 

1914年~1972年:クリストバル・バレンシアガ


出展:THE RAKE
オートクチュールとしてバレンシアガブランドを立ち上げた創始者がクリストバル・バレンシアガです。
1968年にバレンシアガを引退するまで活躍しました。

クリストバル・バレンシアガの経歴については、vol.1とVol.2をご覧ください。

【Vol1】日本人があまり知らないBALENCIAGA(バレンシアガ)のこと

【Vol2】クリストバル・バレンシアガの人物像。表舞台に出てこなかった理由とは?

 

1992年~1995年:ジョセフュス・メルキオール・ティミスター


出展:fashionnetwork

クリストバルの死後、バレンシアガを引き継いだのは彼の甥でしたが、コレクションの発表はなくブランドとしてライセンスが存在しているのみの状態となっていました。

1992年にバレンシアガのデザイナーとして就任したのがオランダ人デザイナーのジョセフュス・メルキオール・ティミスターです。
しかし、残念ながら彼のコレクションは世界に認められません。バレンシアガブランドの評価を上げることはできず、一時はブランドの存続さえ危ぶまれました。

 

1995年~2012年:ニコラ・ゲスキエール


出展:FASHION PRESS

バレンシアガの危機を救ったのはこのニコラ・ゲスキエールです。
1995年にライセンスデザイナーとして就任し、その2年後の97年にクリエイティブデザイナーとなりコレクションを発表して、バレンシアガの伝統を引き継ぎながら新しいバレンシアガを世界中にアピールすることに成功しています。

クリストバル以降のバレンシアガブランドの救世主は、間違いなくこの二コラ・ゲスキエールなのですが、彼がバレンシアガに就任したのはなんと26歳という若さなんです。

ニコラはファッションの専門教育を受けたわけではないと言います。
19歳のときにジャンポール・ゴルチエの元で働き始めて、バレンシアガのデザイナーにはフリーランスとして仕事を手掛けたのです。
後にルイ・ヴィトンでマーク・ジェイコブスの後任を引き受けることになるデザイナーだけありますね。

 

グッチ傘下となったバレンシアガ

このニコラ・ゲスキエールがバレンシアガで活躍した時代に、バレンシアガブランドはグッチグループに属することになるのですが、これもニコラの才能が買われたからこそ。
バレンシアガというブランドの評価というよりも二コラへの期待としてグッチが買収に踏み切ったとも言われています。
巨大ブランドを動かす才能、うらやましいやら恐ろしやです!

その後、グッチグループの解散によりバレンシアガはPPRラグジュアリー・グループの保有ブランドとなり、現在はPPRラグジュアリー・グループの組織改革によって誕生したケリンググループ傘下となって運営を継続しています。

ちなみに、現ケリング傘下のブランドには、
バレンシアガ
グッチ
アレキサンダー・マックイーン
ボッテガ・ヴェネタ
ブリオーニ
サン・ローラン
などがあります。

二コラは、2012年まで約15年間バレンシアガで活躍して、ルイ・ヴィトンのアーティスティックディレクターに就任することになります。

 

2012年~2015年:アレキサンダー・ワン


出展:VOGUE JAPAN

二コラ・ゲスキエールが退任した後のバレンシアガブランドを引き継いだデザイナーは、アレキサンダー・ワンでした。
彼は台湾系アメリカ人で、ニューヨークのデザインスクールで学ぶのですが、卒業を待たずに中退して、自身の名である「アレキサンダー・ワン」ブランドを2004年に立ち上げています。

コレクションデビューは2007年なのですが、そのデビューを果たした場所はなんと東京コレクションなんです。
その翌年2008年にアメリカファッション協議会ウーマンウェア部門にノミネートされ、ファッション界のアカデミー賞とも称されるCFDAアワードでグランプリを受賞して、賞金約2,000万円とファッションビジネスのプロに1年間指導を受ける権利を獲得しています。

バレンシアガのクリエイティブデザイナーに就任したのはデビューからわずか5年後の2012年です。
2015年までの任期でしたので二コラほどの目立った活躍はなかったものの、現在につながるバレンシアガの発展があったのは間違いなくアレキサンダー・ワンの力でもあります。

 

2015年~現在:デムナ・ヴァザリア


出展:VOGUE JAPAN

2015年から2023年現在もバレンシアガのデザイナーとして活躍しているのがデムナ・ヴァザリアです。
現在のバレンシアガはラグジュアリーブランドからラグジュアリーストリートブランドへと成長を遂げていますが、この路線で世界的な成功を収めたのはデムナ・ヴァザリアの才能です。

デムナ・ヴァザリアはトルコ北東のジョージアで生まれて、2006年にアントワープ王立芸術アカデミーのファッションデザイン学科を首席で卒業し博士号を獲得したという、若い頃から非常に成績優秀で才能あるデザイナーでした。

 

ラグジュアリー × ストリートを融合させた「ヴェトモン(Vetements)」

ここ数年、海外セレブやアーティストなどのファッションプレスを見ると、ひと世代前の「いかにもハイブランドです!」というファッションから離れて、洗練されたストリートアイテムに身を包んで颯爽と歩く姿や、オーバーサイズのトップス、パンツ姿がスナップされていますよね。
デムナ・ヴァザリアはバレンシアガに就任する前から自身のブランド「ヴェトモン(Vetements)」を立ち上げていたのですが、このヴェトモンこそがラグジュアリーストリートの先駆けと言われています。

SupremeやOff-Whiteも世界を席巻するストリートブランドですが、ラグジュアリーブランドとの大胆な融合に成功したのはヴェトモンでしょう。

しかし、デムナはバレンシアガに自身のブランドを持ち込んだのではありません。
彼が丁寧に行ったことはクリストバルが生み出したバレンシアガというブランドとその歩みを研究することです。
バレンシアガの誕生から約1世紀にも及ぶ歴史を研究したからこそ、ストリート、モダン要素を取り入れたコレクションが成功したのです。
2019年にはヴェトモンを退任して、バレンシアガでの活動に専念するようになりました。

 

ブランドの遷移から目が離せません!

オートクチュールから始まり、スペイン王室御用達ブランドでもあったバレンシアガが、現在はラグジュアリーストリートブランドとしてセレブ層、アーティストのみならず、世界中のバレンシアガファンに愛されていると思うと面白いですね。

バレンシアガのゴシック体のわかりやすいロゴを上手にSNS時代にマッチさせたという戦略もうまくいったのでしょう。

一時はブランドの存在自体が危ぶまれたくらいですので、まさに繁栄と衰退そして復活、波乱万丈という言葉が似合うバレンシアガに、これからも期待せずにはいられません!