LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)は誰もが知る世界中で大人気のブランドですよね。
でも、なぜこれほどまでに人気があり、その人気が衰えることはないのでしょうか?
日本でもみんなが憧れるLOUIS VUITTONの、その人気の理由をシリーズでご紹介します。
LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)の歴史
まずは、日本人があまり知らないルイ・ヴィトンの歴史を見ていきましょう。
決して華やかではなかった少年時代
ブランド名「ルイ・ヴィトン」の名称は、ブランド創業者であるルイ・ヴィトンの名前からつけられています。
ルイ・ヴィトンは1821年にフランスのジュラ地方アンシェイ村で誕生しました。アンシェイ村はスイスとの国境のほど近い場所にあるフランス東部の村です。
彼の父は製材所を経営しており、母は5番目の子を出産してルイが10歳の時に亡くなってしまいます。
父親はその翌年に再婚するのですが、後妻となった継母はルイ・ヴィトンやその兄弟に仕事を押し付けるなど辛く当たります。
ルイ・ヴィトンは14歳のときにパリに行くために家出をします。
食べるものもないような状態で継母から逃れたい一心で、実家の製材所を後にし都会を目指したのです。
出展:ルイ・ヴィトン・ナビ!
当然、優雅に旅をするような資金もありませんので木靴を履いて徒歩でパリを目指し、道中で様々な仕事をしながらお金を稼ぎました。
人に雇ってもらいながら、馬屋の番をしたり食堂でボーイになったこともあります。
しかし、彼が性に合う仕事は、やっぱり木を扱う仕事でした。
多少遠回りになろうとも、木材の仕事があると聞けば出かけて行って働きました。
しかし、この遠回りのおかげで、彼は地元の森にはなかった木を知ることになります。樫の木、さくら、ポプラ、栗、ブナの木などの種類とその活用方法を身に着けます。
こんな調子で旅をしながらようやくパリにたどりついたのは、家出から2年が経過した16歳のときでした。
フォーブル・サン=トノレで最も知名度が高い荷造り用の木箱造り職人であったマレシャル氏のもとで、自身も見習いトランク職人として働きはじめます。
なぜトランク職人だったのか?
この当時の移動手段は馬車、船、汽車が多く、持ち込む荷物は現在と比べると手荒く扱われることがとても多く、旅行をする貴族たちは荷物の保護を専門の職人に依頼していました。
ルイ・ヴィトンは実家が製材所で木材の扱いには慣れていて自身も性に合う仕事だったことから、木箱を扱うこの荷物を守るためのトランク職人という道を選んだのです。
皇后ウジェニーにも愛されたルイ・ヴィトン
当時のフランスではクリノリンと呼ばれるスカートが大流行していました。
クリノリンは針金やクジラのひげで作った骨組みにスカートをかぶせて着用するドーム型のスカートのこと。その華やかな見た目から貴族たちの間で大流行していたのです。
unknown 1857 artist, Public domain, via Wikimedia Commons
クリノリンの裾が大きく広がれば広がるほど賞賛され、上流階級の女性たちのあこがれの的となるのですが、骨組みとスカートを旅先に持ち歩くのは大変なことです。
そのため、この高価な衣装の保護のために特製のトランクや荷造りの専門家が必要でした。
マレシャルとルイ・ヴィトンは、自分たちで木製の箱を設計して組み立て、高価なドレスやスカートを保護するための木箱を作り続けます。
ルイ・ヴィトンが30歳になるころには、フランス髄一の荷造り木箱製造職人兼荷造り職人と呼ばれるようになり、著名な洋服の仕立て屋から直接依頼を受けてオートクチュールの衣装の荷造りを行うまでになりました。
やがてその腕前はフランス皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーの耳にも入ることとなり、舞踏会やレセプションに着用するクリノンのトランク制作と荷造りをルイ・ヴィトンだけに任せるようになりました。
その結果、ルイ・ヴィトンは多大なる名声を手にすることとなるのです。
トランク専門店アトリエ「LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)」の誕生
ルイ・ヴィトンは1854年に結婚して、息子ジョルジュ・ヴィトンも誕生します。
妻と相談して独立を考えるようになり、自身の名を付けた世界初のトランク専門店アトリエ「LOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)」を現在のヌーヴ・デ・カプシーヌ通り4番地にオープンさせました。
アトリエ初のトランクは防水性を備えたトランクの「グリ・トリアノン・キャンバス」です。
木箱の表面をキャンバスシートで覆ってあり、船旅にも最適な軽さと防水性が評判を呼び大反響となりました。
ヨーロッパ中の王族、貴族から注文が殺到することとなり、事業拡大のため、1859年アニエールにアトリエを開業します。
このとき従業員数は20名ほどでしたが、1900年には100名、1914年にはなんと225名にまで増えるくらい業績は非常に良く事業もどんどん大きくなりました。
このアニエールのアトリエは増築を繰り返しながら、ヴィトン家の邸宅にもなりました。
現在は邸宅の一部がプライベート・ミュージアムになっていて、アトリエでは当時と同じように170名の職人によって様々なルイ・ヴィトンの製品が誕生し続けています。
ここで作られる製品は世界中にいるルイ・ヴィトンファンのためのスペシャルオーダー品になります。
ルイ・ヴィトンという人物の半生を見てきて、彼がもともと腕が良く勉強熱心な職人であったことや、時代が求めていた製品を非常に高いクオリティで生み出す力があった人物であることなどがお分かりいただけたのではないでしょうか。
しかし、ルイ・ヴィトンが現在のように華やかなラグジュアリーブランドになるには、まだまだ長いストーリーがあります。
それはVol.2でお届けしますね!