ファッションを語るときに外せないのが、映画に登場するオードリー・ヘップバーンのファッションではないでしょうか。
メジャーすぎるほどメジャーでありながら、決して色あせず、世代を超えて惹きつけられるオードリー・ヘップバーンのファッションの魅力はどこにあるかについて迫ります。
オードリー・ヘップバーンの生い立ちと美意識
オードリー・ヘップバーンとは、ハリウッド黄金時代に活躍した女優の一人です。映画界において脚光を浴びた存在として知られていますが、ファッション界でも注目を浴び、インターナショナル・ベスト・ドレッサーに殿堂入りしています。
1951年のブロードウェイ舞台作品「ジジ」で主役を演じた後には、1953年にかの有名な「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得しました。
その後も以下のような名作に出演しています。
・1954年「麗しのサブリナ」
・1959年「尼僧物語」
・1961年「ティファニーで朝食を」
・1963年「シャレード」
・1964年「マイ・フェア・レディ」
・1967年「暗くなるまで待って」
そんなオードリー・ヘップバーンは、自分が魅力的だと思っていなかった?
その美しい容貌から世界中の男女に思いを馳せられていたオードリー・ヘップバーンですが、自身の容姿にはコンプレックスを感じていたという意外なエピソードがあります。
痩せ過ぎて胸が小さいことや、鼻筋がまっすぐではないこと。足のサイズが大きすぎたり、歯並びが悪かったりなど数えきれないほどの悩みを持っていたようです。
しかし、自分では魅力的でないと思えるところをファッションセンスでカバーできることを知り、マリリン・モンローやジェーン・マンスフィールドとは違った美しさを探し出そうとしていきました。
洋服は大切なラッピング
私たちがプレゼントを差し上げるときや頂くときには、まずラッピングに目がいきますよね。つまり、身を包む洋服はラッピングと同じであり、自身を飾る重要なものなのです。
彼女はデビュー前から自分に合った洋服や小物を取り入れて、ファッションセンスを磨いていました。
当時170㎝の高身長を持つ女優さんは少なかったため、気にしていたようですが、バレエをやっていた彼女は姿勢が良く、小さな胸はかえってチャーミングな印象を与えました。
オードリー・ヘップバーンの代表的な映画のファッション
出典:https://www.parisjenne.jp/SHOP/o21aw-co16.html
最近のパリコレクションを見ると、レトロファッションが多いことに気づきます。ローマの休日の衣装にもなった「フレアースカート」は、時代を超えて人気を集めています。
カッターシャツのきりっと感と、フレアースカートのふんわり感を合わせたコーディネートは、今どきの若者が着るファッションの一つですが、このコーデは1950年代のオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」の衣装が原点となっています。
近年、ゆるい感じのカジュアルフアッションとウエストマークのフアッションが共存していますが、オードリー・ヘップバーンのように、ウエストがきゅっと絞られたデザインのフレアースカートを穿くには、それなりのウエストの細さをキープしておく必要があります。
オードリー・ヘップバーン伝説の一つに、「長年の女優の間、ウエストが1インチも変わらなかった」がありますが、美意識の高い人は座右の銘としておくのもよいかも知れませんね。
また、この映画の中でのヘップバーン・カットが大流行し、美容院に彼女のプロマイドを持ったお客様が殺到したと言われています。その他にも、バレエシューズや首もとのミニスカーフは、現代でも多くの人が参考にしています。
「麗しのサブリナ」に登場するサブリナパンツは、現在ではクロップドパンツと名前を変えて、ファッションを意識する方々に愛用されています。当時はこの作品の衣装をきっかけに、サブリナパンツというくるぶし丈の新たなパンツファッションの文化が生まれました。
出典:https://colocal.jp/news/138981.html
同時に踵にベルトがないつま先に穴が開いたヘップサンダルなども大流行し、オードリー・ヘップバーンの出演する映画は、時代に大きな影響を与えました。当時、天才靴職人と称されるサルバトーレ・フェラガモはオーダメイドの靴を何足か作っていますが、彼女はデイリーシューズも愛用していました。
出典元:https://ja.aliexpress.com/item/32921216228.html?spm=a2g0o.search0302.0.0.c293380a3JIWzg&algo_pvid=e8f434f0-4826-46b4-89c3-26440d20b0a5&algo_exp_id=e8f434f0-4826-46b4-89c3-26440d20b0a5-4
「ティファニーで朝食を」の衣装であるシンプルな黒のカクテルドレスは、とても有名です。ジバンシイがデザインしたこのドレスはリトル・ブラックドレスとよばれ、装飾品がないのが特徴です。三日月風のバックラインがほっそりとした肩甲骨を際立たせ、女性らしい仕上がりになっています。
20世紀を代表するドレスと言われており、現在でもこのデザインをモデルとしたカクテルドレスが各社から出ています。また、この映画で使用されたオリバー・ゴールドスミスの黒いサングラスも人気を呼びましたが、彼女自身も私生活で愛用していたと言われています。
出典:https://voguegirl.jp/fashion/snap/20190202/my-new-basic-audrey-hepburn/#!/g/1/4/
「シャレード」で着用されたトレンチコートも人気を呼びました。オードリー・ヘップバーンはふだんからトレンチコートを愛用しており、映画でも「ティファニーで朝食を」や「シャレード」などで着ています。2021年の秋冬パリコレクションにもトレンチコートは登場しています。
可愛い印象のオードリー・ヘップバーンですが、トレンチコートを着ることでクールな雰囲気が生まれ、フアッションで大きくイメージが変わることを教えてくれました。シャレードを観た多くの人がトレンチコートに憧れて、街はトレンチコートであふれたとも言われています。当時はファッション誌も少なく、映画の中ファッションはおしゃれさんには、大きな情報源でした。
オードリー・ヘップバーンとユベール・ド・ジバンシィ
ユベール・ド・ジバンシィとは、フランス出身のファッションデザイナーであり、オードリー・ヘップバーンと深い親交がありました。彼女が出演する映画をデザインしただけでなく、私服も作っていたほどです。
ジバンシィが彼女ののドレスを最初にデザインしたのは、1954年の映画「麗しのサブリナ」からでした。後年、ジバンシィはオードリー・ヘプバーンから「あなたの作ってくれたブラウスやスーツを着ていると、服が私を守ってくれている気がする」と言われて感激したそうです。
「パリの恋人」「昼下りの情事」「ティファニーで朝食を」などでもオードリーヘプバーンの衣装を担当し、ジバンシィは彼女との35年にわたる交友を続けてきました。
ジバンシィの創業デザイナー、ユベール・ド・ジバンシィが彼女に贈った香水が気に入り、オードリー・ヘプバーンが「私以外使っちゃだめ」と言ったことから、「禁断」という意味のランテルディと名付けられたというエピソードが知られています。
晩年のオードリー・ヘップバーン
晩年のオードリー・ヘップバーンは、ユニセフ親善大使としてアフリカやアジアの子供たちの支援尽力を尽くしました。
そうして1992年9月にユニセフの活動についていたソマリアからスイスの自宅へ戻り、1993年1月20日に癌で命を失うことになりました。
オードリー・ヘップバーンは、彼女の魅力を引き出してくれたジバンシィへの最後のプレゼントとして、ブルーのコートを贈ったと言われています。
ファッションから見えてくる人の生き様
オードリー・ヘップバーンは、「愛らしい瞳を持つためには、人の良いところを探しなさい。スリムな体型のためには、お腹を空かした人に食べ物を分けてあげなさい」という言葉をモットーとしていたようです。
その言葉から、晩年をユニセフの活動についやしたオードリー・ヘップバーンの生き方が見えてきます。
フアッションは、その人の生き方を表します。私たちが愛してやまないオードリー・ヘップバーンのフアッションは、時代を越えていつまでも愛されることでしょう。