20世紀初頭は女性が開放された時代
参照:https://ihow.pro/p /korusetto-no-shikumi/BssX4jp2IYhngS0LmG1vww
前回ご紹介したように、19世紀の半ばから後半にかけては、シャルル・フレデリック・ウォルトによって、「オートクチュール」という服飾の生産方法が確立されました。これにより、いままでは「仕立て屋」「お針子」生地屋」など分業していた工程を統括して管理するシステムが出来上がり、現代で言う「ファッションデザイナー」が誕生したのです。ファッション業界はパリやミラノを中心に大きく発展していきます。
しかし、19世紀には、この華やかなファッションも一部の貴族や上流階級の女性たちだけのものでした。そして、ファッションのトレンドも、宮廷文化を継承する、コルセットスタイルが主流だったのです。この潮流が大きく変化したのが、20世紀に入ってからでした。女性の社会進出とともに、稀代のファッションデザイナーたちによって、ファッションにも大いなる変革が訪れたのです。
女性の社会進出が進んだ時代
アールヌーボー調のドレス参照:https://aoki7.com/no-one-says-europe-fashion-history/
20世紀に入っても、「アールヌーボー」と言われる植物などをモチーフにしたテイストが建築や工芸品、そしてファッション業界でも流行していました。このスタイルの特徴は、ウエストを細くして、バストとヒップを張り出し裾の長いスカートが特徴的なものです。そのほかにも「アールデコ」という直線的なラインのシルエットも流行していきますが、いずれもコルセットでウエストを締め付ける18世紀からのスタイルを継承するものでした。
ただ、20世紀には産業革命から加速度的な産業の進歩があり、19世紀のフランス革命などの影響などもあって、女性の地位向上が叫ばれ始めた時代です。女性の参政権を求めて、ヨーロッパやアメリカでは、後に第一次フェミニズムの波ともいわれる大きなうねりとなっていました。
特に大きな出来事としては、第1次世界大戦です。もちろん、その頃には女性兵士は存在しませんから、あまり関係がないと思われるかもしれません。しかし、兵役によって多くの男性がいなくなった国内で、産業の担い手となるのは女性しかいないのです。それまでは男性の仕事とされていた力仕事などにも女性が進出して、「働く女性」として社会に進出していったのです。
コルセットからの開放とオリエンタルファッション
オリエンタリズムの絵画 参照:https://livedoor.blogimg.jp/mement_mori_6/imgs/b/5/b5efd291.jpg
この時代に流行したものといえば、「オリエンタリズム」です。これは、ヨーロッパから見て東方の国々である中東やインド、中国などの文化や美術を取り入れた潮流でした。この流れは、工芸品や文学、インテリアなどに影響を与え、もちろんファッションにおいても、大きな流れをつくりました。そして、この流れをうまく利用し、ファッション界に画期的な変革をもたらしたデザイナーがいました。その人物がポール・ポワレです。
彼のデザインするドレスは、オリエンタルテイストを取り入れた、非常にゆったりとしたものでした。そして、なによりも重要なことは、そのドレスにはコルセットを使用しないということです。彼が活躍し始めた20世紀の初頭は、庶民の普段着は別として、上流階級の女性が着るドレスと言えば、コルセットが必須とも言える存在。ポール・ポワレはそれを大胆にも排除してしまいました。ただ、この「コルセットからの開放」は、意外にも多くの人々に受け入れられ、拡散し、歴史的な出来事となっていったのです。
時代の必然だった「コルセットからの開放」
20世紀初頭は、前述の通り女性が社会進出をしていった時代です。また、産業革命によって豊かになった人々がスポーツなどの娯楽を楽しむ時代でもありました。そのような状況下で、ウエストを締め付けるコルセットは、女性の活動を抑制する象徴のように考えられていた一面もあったようです。
「さまざまな抑制からから女性を開放する」といった思想がポール・ポワレ自身にどれくらいあったのかはわかりません。しかし、時代がそれを望み、ポール・ポワレが実現させたことは事実です。そして、この女性の自由さを、さらに推し進めたのが、ココ・シャネルでした。次章ではこの2人の偉大なファッションデザイナーがどのような軌跡を残したのかをご紹介します。
20世紀初頭に現代ファッションの礎を築いたデザイナーたち
近代ファッションのパイオニア「ポール・ポワレ」
ポール・ポワレ 参照:http://blog.princehotels.co.jp/karuizawa-
コルセットから女性を開放したポール・ポワレ。その斬新さは、ファッション史上で最大の出来事だと言う人もいるほど、重大な変革でした。
傘職人からデザイナーの道へ
ポール・ポワレは1879年パリで生まれます。家が貧しかったため、若い頃から手に職をつけるために、傘職人の訓練を受けていました。傘の製作を通して、ものづくりの楽しさを知ったポワレは、デザインにも興味を持ち、独学で学んだデザイン画を著名なオートクチュールメゾンに送っていました。いくつかのメゾンにその才能を評価され、彼は、当時パリで一番の人気を誇り、最初のファッションデザイナーともいわれるシャルル・フレデリック・ウォルトのメゾンに入ります。
しかし、いくら当時最先端のドレスを製作していたメゾンでも、コルセットを使用した宮廷ファッションが基本。ポワレは自分のつくりたいものと、顧客やメゾンが求めるデザインのギャップに苦悩したといいます。
独立、そしてコルセットを捨てた
参照:https://ameblo.jp/child-q/entry-10480597137.html
1903年、ポワレは自分の思うコンセプトを実現するべく、独立を果たします。そして、1906年にコルセットを使用せず、ハイウェストでドレープを強調したローラ・モンテスというドレスを発表します。このドレスこそ、のちのファッション界に大変革をもたらし、「女性を開放した」とも言われる画期的なものだったのです。
ポワレはその後も、精力的に新しいデザインを打ち出します。よく知られているものでは、「キュロットスカート」があります。スカートのシルエットと、動きやすさを兼ね備えたこのデザインは、現代でも多くの人が愛用しています。また、ポワレはデザインばかりでなく、ファッション産業の普及にも取り組み、ドレスの低価格化などにも尽力していました。
しかし、一斉を風靡したと思われたのもつかの間、20世紀になって加速し、次々と現れるファッショントレンドの波に呑まれるように、1920年代後半には人気が低迷し、ポワレはメゾンを閉鎖しています。時を同じくして、ポワレと入れ替わるように注目を集めていたのは、発展するファッション業界で活躍をしていた新鋭デザイナーたちでした。その筆頭が、ココ・シャネルです。
「女性のためのファッション」をつくったココ・シャネル
ココ・シャネル 参照:https://www.fashionsnap.com/article/2011-08-22/chanel-douglaskirkland-1962/
あまりにも有名なファッションデザイナー、ココ・シャネル。彼女はその言動や私生活でも大きな話題になりました。女性としてさまざまなことを経験した彼女だからこそ、「女性のためのファッション」を生み出せたのかもしれません。よく、「コルセットを撤廃したのはシャネルだった」という説を聞くことがあります。もちろん、正確にはご紹介したように、ポール・ポワレによるものです。ただ、シャネルはポール・ポワレが思い描いていたであろう「女性の開放」を、より具体的に、そして洗練されたデザインで成し遂げた歴史的なファッションデザイナーです。その功績を見てみましょう。
動きやすさを重視したジャージー素材の使用
第一次世界大戦中に、男性たちの代わりにさまざまな産業で活躍する女性たち。しかし、コルセットをすることはなくても、タイトで窮屈なシルエットの服や、足元までの長いスカートは、やはり動くのに適しているものではありませんでした。
そこで、彼女が目を付けたのが、伸縮性に優れている「ジャージー素材」だったのです。ただ、当時ジャージー素材は、男性用の下着によく使用されていたものでした。それを、女性の洋服に使用するというのは、画期的というよりも、無謀だとも思われていたようです。しかし、結果は多くの女性達に支持されることとなり、ココ・シャネルの名前は一気に世界へと広がっていくのです。
「黒」の価値観を変えた、リトルブラックドレス
当時のドレスはきらびやかな色を使用して、華やかさを演出するのが普通だと考えられていました。現代では黒いドレスもシックで美しいと評価されていますが、この頃は「喪服」としての印象しかありませんでした。その「黒」を定番カラーにしたのが、シャネルの「リトルブラックドレス」です。カジュアルにもフォーマルにも着用できるため、高価なドレスを何着も用意する必要がなく、シンプルで機能的なこのドレスは、「黒」という価値観さえも変えたのです。
「女性の開放」はバッグでも
女性の開放といえば、「シャネルバッグ」のコンセプトもそのような考え方に基づいています。当時、女性が持つバッグはクラッチタイプのものでしたから、片手は必ずバッグを持つためにふさがっていたのです。
そこで、シャネルは、兵士が使うバッグにヒントを得て、チェーンストラップが付いたバッグを発表したのです。このバッグによって、女性はバッグを持っていても、自由に両手を使えるようになりました。
加速度的に発展した20世紀初頭のファッション業界
ご紹介してきたように、産業革命やフランス革命など、世界の歴史が動いた19世紀には、ファッションの世界も大きく動きました。19世紀後半には「最初のデザイナー」と言われるシャルル・フレデリック・ウォルトがオートクチュールや服飾製造システムを改革、20世紀になるとポール・ポワレがコルセットを使用しないドレスを発表しました。そして、ココ・シャネルは、独自の洗練されたデザインセンスによって、女性の開放を推し進めたのです。
しかし、この後には、第二次世界大戦が勃発し、世界は多大なるダメージを受けます。ファッション業界も同様で、戦時中は非常に低迷しました。ただ、戦後になると、平和を謳歌した華々しい多様なデザイン多く見られるようになります。
20世紀初頭から現代に至る「ファッションデザイナーの歴史」は、少し時間を置いてからご紹介することとして、次回からは舞台を日本に移して、「ファッションデザイナーの歴史~日本編~」をお送りしたいと思います。