1970年代から2010年代までのファッションについて当時のカルチャーを踏まえながら、全5回に分けて解説していきます。今回は1990年代をフィーチャーします。
新しい価値観の創造
世界が世紀末を迎え、これからどう生きていくか、どんな価値観で物事に接していくか、というのを、否が応でもみんな考えた時代が1990年代でした。変革を求めた1970年代、揺り戻しの1980年代、そしてその集大成としての1990年代。世界のファッショントレンドは、デザイナーを中心に新たな意匠を発表し、たくさんの議論が交わされてきました。その中で特に日本では、アムラー、コギャルといった、今までにない価値観を持った存在が現れました。彼女らは「型にはまらない」生き方を好み、それまでのトレンドから一線を画した独自の世界観を作り上げました。コギャル文化は日焼けした小麦色の肌に濃いメイクを施したり、肌の露出が多かったりと、それまでの定番を破壊したことで、若者の間で人気になりました。アムラーはミニスカートにサイハイブーツをあわせたスタイルが定番で、歌手の安室奈美恵さんがお手本でした。赤のチェックが印象的な、ボックスプリーツのミニスカートも流行しました。外見だけで言えば、みんなが似たような格好をしているけれど、内面はそれぞれ違う思想性を持っていたのがこの時代の若者文化と言えるでしょう。ファッションアイコンは安室奈美恵さんや浜崎あゆみさんなどの歌手にシフトチェンジし、それぞれ「新しいタイプの自由」……つまり思想信条をファッションで表現する自由を獲得していったのがこの時代の特徴です。
(出典:wear.jp)
バブル崩壊と貧富の格差
この時代を語るうえで、欠かせないのがこの「バブル崩壊」。国全体が不景気に陥ったのですが、一部の高所得者は相変わらず高級ブランドを着用できるだけのお金を持っていたので、ここで一気に貧富の差が生まれるようになりました。それに伴って、着るものもハイブランドから古着を中心にした服装にだんだんと変化していきました。もちろん、ハイブランドを買えるだけの余力がある人たちは、そのまま高級志向を続けていましたが……大多数の人たちは、いかに服飾費を安くするかということを考えなければならなくなりました。この当時の合言葉は「親から借りた服」「友達にもらった服」「自分で作った服」の三つ。それらは安価で手に入れられ、そのうえで自分の思想性や個性を演出できる服装をみんなが求めていたということの裏返しでもあります。安いものを買う、という今までの高級志向を振り捨てるのに、大変な方向性の転換があったと思うのですが、それでもオシャレをすることは諦めない。諦めたくない。こういった「誰かのモノで誰にも真似できない格好をする」という現象は、ファッショントレンドの歴史には残らないような、局所的な個性の噴出とでも言うべきもので、この時代に特有の感覚だったように思われます。
(出典:Instagram @mao_look)
鋼鉄のように強い女
強く自立した女性のイメージは、現代でこそ人によって異なるでしょうが、この時代ではハイヒールやコルセットがその象徴となりました。今でもそのふたつは「強い女」をイメージさせると思うのですが、いかがでしょう? この1990年代でも、依然として1980年代のようなセクシーさと力強さを求めた人たちが多くいました。もしかしたら、1980年代以上に強さが求められたとも言えそうです。そうでなくては生きていけない時代だった、ということでもあると思います。鋼鉄のように強く――女性は時代の荒波を乗り越えるために、より強く、よりセクシーになろうとして、露出を増やし、ボディラインを強調し……ということをやっていました。もちろんすべての女性がそうではありませんでしたが、特に働き盛りの女性たちはファッションの力を存分に活用し、世の中を渡っていったのです。
(出典:日本服飾文化振興財団 https://jflf.or.jp/event/384/)
フェティッシュスタイルと新しいトレンド
世界的に見ると、1990年代はフェティシズムの時代でした。下着や髪、手といった女性の魅力を象徴するモチーフをふんだんにあしらったデザインのファッションがモード界の主流となり、中には下着で作られたドレスなども話題に上るようになりました。世の女性たちが、次の時代をどう切り拓くか(そして日本においては、不況下でどう生き延びるか)ということを考えたときに、自分たちの性的魅力を活用することを選んだことを象徴するようなトレンドです。
一方で、今までのモード界ではあり得なかったスタイルも登場します。それが「グランジュ・ルック」。わかりやすく言うとヒッピースタイルとパンクスタイルの合体したもので、カラフルかつルーズな重ね着をするのが流行りました。それまでのボディコンファッションとはまた違ったトレンドですが、これって実は「古着を買ってオリジナリティを出す」ことともつながってくるのです。重ね着するその洋服そのものは、もとは誰かのモノだけれど、こうしてレイヤードしている、組み合わせを発見したのは自分である、という個性の発露でもあると思いませんか? そんなグランジュ・ルックにも注目がいき、いろいろなファッションを、いわばごちゃごちゃと混ぜて楽しむことをやるようになっていったわけです。
(出典:VOGUE GIRL)
(出典:wear.jp)
私はこう見る!
貧富の格差から生まれたファッションが時代を牽引し、高級志向と安価への方向転換という二極化の真っただ中で、古くても、セカンドハンドでもいい! と思う人が増えたのがこの時代なのかもしれません。レトロなものへの回帰(再評価)も見られたこの1990年代では、もちろん発端はバブル崩壊とはいえ、古着に魅力を感じる人が一定数いて、そのカルチャーを現代にまでつなぐために育ててくれていたのだと思うと、ひとりの古着好きとしてはありがたいなあと思うばかりです。現代の古着文化(ヴィンテージアイテムの再評価)の萌芽とも感じられる現象が起こっていたことは、きっかけが何であれ現代にも影響を及ぼしているのですね。
そしてメインの文化はアムラーとコギャル。今までの時代からは想像もつかないほど、女性の在り方が定型からはみ出した時代でした。アムラーもコギャルも、同質化された存在のように見えて、実はそれぞれが「型にはまりたくない」という発想を持っていることに注目してみると、現代にも近しいものを感じることができます。型にはまるというのは、今までの女性像のままで生きていくということ。その女性像さえも、新しい時代を迎えるにあたって刷新しようという覚悟が見え隠れします。例えば制服で考えるのがいちばんわかりやすのかもしれませんが、着崩す、ということが流行りだしたのもこの時代です。型にはまる、今まで押し付けられてきたイメージを払拭する、定型通りに生きていくことの拒否を、ひしひしと感じます。その「定型から外れたい」欲求が、グランジュ・ルックだったり古着だったり、そういう独自の世界を作り上げていったのでしょう。そして「定型から外れたい」という思いを抱いていても、ロールモデルになる人がいる限りは、その人の後追いをすることになる……というのもアムラー・コギャル文化でわかってしまった二律背反です。型にはまらないがゆえに、新たなラベルでひとくくりにされる。そんな息苦しさもあったのではないかと推察します。そうした閉塞感を抱きながらも、次の時代で何を感じ、どう生きるかを皆が模索し、それぞれが答えを出した時代として、この1990年代を定義したいと思います。
(ライティング:長島諒子)