年代別・10代20代女子のモード文化変遷~2000’s~

1970年代から2010年代までのファッションについて当時のカルチャーを踏まえながら、全5回に分けて解説していきます。今回は2000年代をフィーチャーします。

 

ミレニアムになっても継続したもの

遂に21世紀になり、みんながお祭り騒ぎで熱に浮かされていた時代。その時期特有の熱気というものはどの時代にも存在しますが、この2000年代ではそれがことさら顕著で、ここから新しいものが生まれるぞ、という胎動を感じさせました。しかしファッションは今までの流れを汲みながら、徐々に新しい潮流に乗るようになっていきました。1990年代でもファッションアイコンだった安室奈美恵さんや浜崎あゆみさんの人気も健在だったので、そこまで大きな波は来なかったように思います。それでも変化というものは確かに存在していて、ここでは「映画」と「異端」という言葉がキーワードになってきます。大ヒット映画の影響で流行したファッションやモードというのがいっそう身近になり、また「我が道を行く」女性たちが、ファッションを武器に自己実現を図っていたのです。

(出典:ガールズちゃんねる)

 

「NANA」と「下妻物語」

当時大ヒットとなった映画で、女性のファッションに影響を与えたのがこの2本。「NANA」は矢沢あい原作のマンガの実写化で、地方から上京してきた同じ名前の女性2人が、ルームシェアしながら恋愛や人生というものを考えるというもの。「下妻物語」は嶽本野ばらの小説が原作で、茨城県の下妻市が舞台です。ロリータ服を買う資金を得るために偽ブランド品を販売することにした女子高生と、特攻服を着た不良少女が奇妙な絆で結ばれていくという作品。どちらも社会現象となり、特に「NANA」では中島美嘉演じる女性の着用するパンクスタイルを前面に出したファッションが、「下妻物語」では深田恭子演じる女子高生のロリータ服が、それぞれ人気になりました。主に若者文化の拠点とも言える原宿などで流行しましたが、どちらもかなり服装的には目立ちます。それでもその映画作品に心を動かされた女性たちが、自分もそうありたい、強い自我を持った存在として、自分のファッションは自分で決める、という精神性のもとにそのような服装に身を包みました。

ロリータファッションは、細分化すれば「ゴスロリ」「甘ロリ」など少女趣味のなかにもゴシックさを求めたりファンシーさを前面に押し出したり、その後の流れで「クラシカルロリータ」というのも注目されるようになるのですが、その先駆的存在がモデルで看護師としても勤めている青木美沙子さん。彼女が注目されるようになったのは2010年代からですが、その萌芽となる出来事はこの時代にあったのだと言える、象徴的な年代でもあったわけですね。

(出典:プリ画像)

(出典:amazon.com)

 

ジーンズ人気とギャル文化の継承

当時はジーンズに対する熱量が凄まじく、のちにスキニーなども生まれるのですが、とにかくジーパンをみんなが穿いていた。ジーパンを穿いておけばみんな流行に乗っていると錯覚できるほどに、みんなジーパンを穿いていたのです。全体的にゆるいシルエットが男女ともに広く受け入れられていました。今でこそジーンズというのは死語のように語られますが、今でも続くデニム人気はここから始まったのです。

そしてギャル文化も相変わらず続いていたのですが、独自の進化を遂げ、小麦色の肌に真っ白いメイクをする、いわゆる「ヤマンバギャル」が主流でした。そして量販店のドン・キホーテなどで売っている着ぐるみを着て外に出るギャルも登場し、ギャル文化の混沌を極めた状況が様々な媒体で取り上げられるようになりました。

雑誌も赤文字系(コンサバで男性ウケを狙ったもの)、青文字系(ボーイッシュなどの独自路線で女性ウケを狙ったもの)などに分かれ、それぞれの看板モデルにちなんだ「エビちゃん系」「もえちゃん系」というスタイルも流行しました。まさに多種多様、いろいろな文化が花開いた時代が2000年代だったということです。

(出典:wear.jp)

原宿の発展

ファッションに敏感な若者が集ったのが原宿の街。原宿には、マンバギャルもジーパンを穿いている人もロリータ服を着ている人もパンク調のスタイリングの人も、みんないました。そこがファッションの最先端だったから。裏原宿あたりにはそれぞれ個性的な古着屋さんが軒を連ね、大通りにはラフォーレ原宿が……という、今でも続いている景色が生まれたのもこの時代。そうしてたくさんの人たちがファッションを楽しんでいた時代でもありました。この当時は「カワイイ」が合言葉で、後々世界進出までしていく日本語になるのですが、「これは可愛い」と思ったらもう即座に取り入れる、そんな風潮がありました。可愛ければ何でもいい、と言ってしまえば乱暴かもしれませんが、本当にそれくらいなんでもありだったので、スカート・オン・パンツという今では化石のように扱われる奇抜なスタイルも流行したのです。だって、可愛いでしょ? ということで。そのくらい自由度が高く可愛さを重視したスタイリングの流行と、それを手に入れられる文化の発信地としての定着もあり、原宿の街が発展していったのです。

(出典:https://www.shutter-mag.com/harajuku_movie/)

 

私はこう見る!

「なんでそんな格好をしているの?」多感な思春期に聞いたらハートブレイクどころの騒ぎではない、時として鋭利な刃物のように突き刺さる言葉。それをはねのけるだけの自由度の高さと「異端」を受け入れる柔軟性があったのがこの時代だと、私は考えています。

誰もがファッションに興味を持つわけではありませんが、テレビや雑誌のみならずウェブメディアも台頭し始めて、様々な情報に触れるようになり、嫌でも相手の服装やメイク、一挙手一投足に目が行く。そんな時代でも、「私は私」とばかりに己の道を貫き通した女性たちが、ロリータ服やマンバギャル姿で街を闊歩していました。今の世の中では異端と思われてしまいがちな服装でも、「可愛いからいいんだ」と勇気づけるように時代が追い風になっていた、良い時代でもあったということでしょう。「なんでそんな格好なの?」という疑問には「これが私だから」という返答で十分。そんなことをこの時代で学んだような気さえします。私もかつては服装に制約を設けられ、すべて母親の言いなりになっていた時期がありました。それは自分でお金を稼げないから仕方がなかったのでしょうが、何か鬱屈とした不満があって、自分でお金を稼いで、自由に使えるようになってから、ファッションの奥深さや面白さ、愛おしさに気付く、ということがありました。そこから言っても、女性たち(そして男性も)が己の着たい服で街を歩いて……というのが当たり前になった2000年代は、後の世代にもいい影響を与えたと言えるでしょう。ありがたみを感じる。

「カワイイ」文化は「異端」ではない。もちろん最初はイロモノ扱いでしたが、今では十分すぎるほど日本社会のネームバリューを発信する表現になりました。そのはじまりに、「変じゃないよ!」「可愛いからいいんだよ!」とエールを送ってくれる存在がいたことに、なんだか言いようのない嬉しさを感じてしまいます。それが2010年代へとバトンをつなぎ、そして2020年代を形作っていくのですから。

どんなファッションでも、いい意味で武器にして、世の中と折り合いをつけていく女性たちが存在したこと、そしてそんな女性たち(そして男性たちも含め)が20世紀よりもより一層パワフルに、そして可愛く着飾って、自己実現への一歩を踏み出した時代。それが2000年代の総括となるでしょう。

(ライティング:長島諒子)