皆さんは「ファッション」なるものを、どのようにとらえていますか? これは様々なキーワードから謎多き「ファッション」を紐解いていく連載です。
ストリートファッションとは何を指すのか
いわゆる「ストリートファッション」とは、いったい何なのか。言葉で定義するのはとても難しいのがこのジャンルなのです。そもそも「ストリート」とは多様な人々、主に若者たちの「リアル」な価値観や文化がファッションを通じて表現され、形成されるファッションのスタイルやテイストのこと、あるいはそうした人々が行うコミュニケーションの「場」のことを指します。もちろんそれは時代や地域、社会、そこに集う人々によって異なるため、一概には定義するのが難しいです。制度化されたモードなファッションとは違い、時代や地域、社会、街、そしてそこに生きる人々の相互作用から生み出される「リアル」なファッション。それがストリートファッションというものだとされています。

(出典:ZOZOTOWN)
渋谷や原宿が「若者の街」と呼ばれるのは聞き慣れた表現だと思うのですが、それらの街の共通点として、レコード屋さんだとか古着屋さんだとかアートやスポーツが実践されている公共空間が多数存在していることが挙げられます。それは、若者カルチャーの拠点となる場所が集積し、若い世代が惹きつけられるような魅力を形成できる「都市」という空間の構造も、大きく影響しています。
また近年では同時代に流行っていることだけでなく、過去の世代で流行ったトレンドや、SNSの普及による他の地域の文化やトレンド情報に、誰もがいつでも・どこでも簡単にアクセスできるようになり、インターネット空間も都市空間と同様の役割を果たしながらストリートファッションの発展に寄与する場になっています。そのことを象徴するのが、今日の日本における「90年代リバイバル」ブーム。これは単に日本だけで生じた特異な現象というわけでもないのです。
90年代アメリカのヒップホップミュージック流行は、アーティストたちがミュージックビデオやジャケット写真で身につけていたファッションとともに注目され、リアルなストリートの人々のファッションとして世界各地の若者に影響を与えることとなりました。90年代の日本も例外ではなく、アメリカのヒップホップにインスパイアされたストリートファッションが流行しました。そしてまた近年、アメリカにおいてヒップホップの音楽性やファッションが再評価され、90年代への回帰が起きており、現代風にアップデートされて復活し、日本にも影響を及ぼして、今の「90年代リバイバル」ブームが発生した、と考えられています。特に日本のストリートファッションのスタイルのなかには、海外の音楽や若者カルチャーの影響を強く受けているものが多くあります。

(出典:楽天市場)
こうした若者カルチャーのファッションが「ストリートファッション」と呼ばれる理由のひとつとして、海外のユースカルチャーであるストリートカルチャーの影響によるものがあります。1970年代のアメリカ・ニューヨークに住むエスニック・マイノリティの人々の、多様な文化的・人種的交錯によって誕生したのがヒップホップの背景なので、スケートボードやアートなどの要素を含めたカルチャーがストリートファッションの根幹をなすリアルな価値観なのです。そうしたヒップホップを愛好する彼らはブレイクダンスやアートによって、ストリートという都市空間を遊び場に読み替えて自己表現の場にしてきました。
そんなヒップホップが自己表現に特化した文化であること、そして貧困や犯罪、人種差別などによって社会的に抑圧されてきたマイノリティの人々が、そうした状況にポジティブに向き合うために音楽やダンス、アートでコミュニケーションを図り、自身のアイデンティティを社会や他者に示そうとしてきたことが、ストリートファッションと親和的だったこともあり、このふたつには深い関係があると言えます。
そうしたストリートファッションで支持されているアイテムであるスニーカーや、ルーズなシルエットというファッションアイデアは、感度の高い若者だけでなく、ストリートとは対照に位置しているラグジュアリーブランドが取り入れるほど、影響力を増してきています。他にもお人形さんのようなロリータファッションが海外で人気になったり、新規ブランドの進出につながったり、といった現象も、リアルな若者の感性から生み出されたストリートファッションの影響力だと考えられます。

(出典:WEAR)
私はこう見る!
以前「ストリート×ロリータ」を提唱したHIDOLATRAL THEODOLのデザイナーであり、インフルエンサーでもある高嶺ヒナさんをインタビューさせていただいたときにも感じたのですが、トップダウンでおりてくるファッションに盲目的に迎合することなく、自身の着たいものを好きなように着るためにデザインしていくのだ、という気概や熱意が、若い世代には強いのだという印象を持っています。他にもインタビューさせていただいたデザイナーさんたちは皆、「ありそうでなかったものを作りたい」という気持ちで独自のファッションを発信していて、同世代の私も応援されている気持ちになったり、逆にもっと売れてほしいと応援したくなったり、なんだかそこには「共感性」があるような気がしてなりません。
共感することによって仲間意識が芽生え、その集団の一員になれる。ファッションにはそういうアイデンティティを承認する役割があって、若者の間でも相互承認によってファッションが新たに生まれ、新たなムーブメントを生み出していくのかもしれないと考えていますし、そうしたムーブメントをボトムアップでメディアが取り上げたり大きなブランドが真似したり、そんな循環が生まれていることも事実です。ストリートファッションを侮るなかれ、ということですね。
共感できるファッションは、共感できる個性ともつながっていて、その「共感を許容する幅」が大きくなったような感覚もあります。多様な存在がありのままでいられることが容認されるようになった社会が現代日本なのでしょう。そうした社会になることで、若者のカルチャーはどんどん発展していくし、それが日本の文化のレベルを向上させていく可能性を秘めているとも思っています。日本の未来を担う若者のファッションカルチャーを、(真似するとはいかないまでも)意識すべきなのではないかと考えています。
ファッションについて考察していくコラム、今回はここまでです。
(参考文献:「クリティカルワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係」2022年、フィルムアート社)
ライティング:長島諒子