皆さんは「ファッション」なるものを、どのようにとらえていますか? これは様々なキーワードから謎多き「ファッション」を紐解いていく連載です。
グローバルマーケットと生産のいびつな関係
皆さんの衣類が眠るクローゼットを開けて、そのタグを確認してみると、既製服の多くは中国製、次いでバングラデシュ製、ベトナム製……と、日本で生産されたものは少ないかもしれません。かく言う私のクローゼットの中身もそうです。消費者も生産者も、お互いのことを意識せずに日々生活していて、物質的にはつながっているのに関係性は薄い、という奇妙な構造になっています。
先進国で消費される服飾品を、発展途上国で生産するのは「人件費が安いから」にほかならないのですが、特に大量生産大量消費型のファストファッションが世界的に流行すると、バングラデシュのようによりコストのかからない土地へ工場が移転されました。バングラデシュでは1970年代半ばに韓国の支援によって輸出型既製衣料品生産が開始され、1990年代にはジュート生産に替わる国家の一大産業となりました。さらに2000年代になると世界的な不況も後押しして、豊富で安価な労働力を有するバングラデシュに多国籍企業が押し寄せます。

(出典:バングラデシュビジネスサポート)
こうして、30年間で急拡大したバングラデシュの衣料品生産。その実態を見てみると、農村で教育を受けた若者たちが、都市近郊に急増するアパレル工場に働きに出る、という構図が浮かび上がります。アパレル工場での労働は長時間労働のうえに賃金は安く、社会的ステータスも低いです。そこで働く若者たちはその仕事に満足しているわけでは決してなく、「一時的な労働」と思って従事しているそうです。アパレル工場で働く労働者の6~7割は女性で、その大半が貧困層です。『990円のジーンズがつくられるのはなぜ?』という本(2016、合同出版)のなかで著者の長田華子氏は、私たちが安価に購入しているファストファッションを生産しているバングラデシュ縫製工場の女性労働者たちの生活を描き、日本とバングラデシュの物価の差を加味しても、990円のジーンズの売り上げは労働者の生活を支えるどころか苦しめているのだ、という現実を訴えています。
バングラデシュのアパレル工場の労働環境の劣悪さが世界に知れ渡ったのは、2013年4月24日に起きたラナ・プラザ崩落事故がきっかけでした。27の縫製工場が軒を並べていた雑居ビルが崩壊し、1127人の死者と2500人以上の負傷者を出した、ファッション業界最悪の産業事故です。崩落の原因は安全管理にあり、建物の亀裂が確認されていたにも関わらず作業の継続を強いられた労働者たちが犠牲となりました。事故が世界各国で報道され、工場で生産されていた衣料品の多くが世界のファッションブランド製品であることが明らかになると、責任の一端が発注した多国籍企業側にもあると指摘されたのです。そこで企業はコンプライアンスを強化し、環境の安全や最低賃金が守られていることを発注の条件にするようになりました。バングラデシュ国内でアパレル産業労働者の労働条件をめぐる問題は以前から問題視されていましたが、ラナ・プラザの事故をきっかけに、研究者や活動家ジャーナリストによる議論が活発になり、労働者の運動を支える動きも盛んになりました(Prentice & De Neve 2017)。

(出典:Wikipedia ラナ・プラザの悲劇)
また、消費者に対してもドキュメンタリー映画の上映をはじめとして、生産労働者の問題だけでなく、繊維素材による環境被害や古着輸出受け入れ国が直面する市場破壊など、グローバルファッションがもたらす多角的な問題を突きつけると同時に、安価になったファッションに私たちの消費行動がいかに操作されているかを警告しました。このように、「ラナ・プラザの悲劇」は世界にファッションをめぐる倫理(エシカル)や持続可能性(サステナブル)を広く訴えかけました。しかし、世界が以前よりファッションの抱える諸問題に気づきながらも、相変わらず安価なファッションは人気を保っています。そこには、「非買行為は生産者を助けない」という消費者意識と、生産現場のさらなる広がりが関係しています。
ラナ・プラザの悲劇でその労働環境が問題視されると、バングラデシュの各アパレル生産企業は海外企業からのコンプライアンスに応えることを強いられますが、だからといって海外企業が購入単価を上げてくれるわけではありません。結果、コンプライアンスに対応できずに倒産した企業も少なくありません。あるいは設備投資のできるところは環境整備を進め、2015年頃からは環境と安全に配慮した「グリーンファクトリー」を目指す工場も増えています。こうした工場がコスト削減策として導入しているのは機械化です。それによってバングラデシュのアパレル工場の労働環境は若干ではありますが改善しつつあります。しかし、倒産した企業や人件費削減のために労働者数を減らす企業が増えると、そこで働いていた労働者たちは職を失います。このようなジレンマのなかで、今発展途上国のアパレル工場は苦しんでいます。

(出典:バングラデシュビジネスサポート)
私はこう見る!
バングラデシュの工場に限った話ではありませんが、機械化によって人件費削減、というのは良いことのように見えて「働いている人のことを見ていない」施策でもあります。労働者の待遇改善と、品質の維持、そして職にあぶれない社会構造の構築が急務となってきますが、それは現代の日本社会でも同じことが起きていると私は考えています。
日本の産業も、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人々によって支えられています。コンビニ、道路などの工事・整備、保育……衣料品ではありませんが、そういった人たちの仕事は総じて賃金が低いです。その現実から目を背けないことも大事ですし、そういった収入の少ない人たちが安価なファストファッションにしか手を出せずにいて、その結果バングラデシュをはじめとするアパレル工場にもしわ寄せが行く、という世界規模での動きになっているのです。
どうしても私たちは、目には見えないことや当たり前に手に入るものに対する感謝を忘れがちです。偽善的かもしれないけれど、それでも私は自分が購入する服飾品の製造には、企業が相応の対価を払ってほしいと思いますし、自分もこの日本社会の不景気をどうにかしようと思って投票に行くなどしています。そういう小さなことでしか変える方法はないのだろうとも思うし、小さくても立派な行為だとも思います。
遠いバングラデシュのことに想いを馳せることも大事ですが、自分の国のことにも目を向けなければならないし、この先衣料品で日本のブランドがどこまで信用されるかはコンプライアンス遵守と相応の給与を(国内だろうが国外だろうが)支払うことにあると考えています。だからこそ、労働環境を良くしてほしいと声を上げることが大事なのです。
ファッションについて考察していくコラム、今回はここまでです。
(参考文献:「クリティカルワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係」2022年、フィルムアート社)
ライティング:長島諒子