ヨーロッパの感性に触れてデザイナーの道へ
皆川 明氏 参照:https://www.onestory-media.jp/post/?id=3907
皆川明氏は1967年、東京都の生まれです。ごく普通の家庭に育ちましたが、祖父母が輸入家具を扱う店を営んでいた関係で、ヨーロッパの家具が陳列される店舗が遊び場だったと言います。その小さい頃に接したヨーロッパの感性は、青年になった皆川氏を魅了していきます。自らのブランド「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」はフィンランド語で、ヨーロッパのアンティーク家具のように流行に流されるのではなく、長期間着用できる服づくりを目指しています。ただ、皆川氏の服づくりは、決してヨーロッパ一辺倒ではありません。日本伝統の織物や刺繍などもふんだんに使用した独自性のあるモードこそが、世界から注目されている理由です。
長距離ランナーの夢を失った若者が、ヨーロッパで手に入れた未来
中学、高校時代の皆川氏は陸上競技に打ち込んでいました。かなり本格的に取り組んでおり、将来は体育大学に進学してフルマラソンに挑戦、大学卒業後は体育教師になるという夢を思い描いていたと言います。しかし、その夢は高校3年生のときに突然失われます。高校生最後の大会予選レースで足首を骨折、その後の無理もあって状態は悪化し、体育大学への進学は諦めざるを得なくなったのです。
夢を失った皆川氏が、高校を卒業後に選んだ道は「ひとり旅に出ること」でした。行き先は、小さい頃から祖父母が家具の買い付にに訪れていたヨーロッパ。小さい頃から感じていた、ヨーロッパ製家具の感性が影響していたのかもしれません。
フランスでのホームステイと語学学校、一般的な留学スタイルだったのですが、友人と参加したパリコレのアルバイトが彼のデザイナー人生のきっかけとなります。服をモデルに着せてラインを調整するといった雑用係でしたが、ファッションを意識することが無かった皆川氏でも、パリコレの独特な空気に、「洋服を作る仕事は面白そうだなあ」と衝動のような気持ちが湧いたそうです。
そこからの行動は素早いものでした。帰国後すぐに文化服装学院の夜間部に入学、昼間は縫製工場でアルバイトをして、服づくりに向き合っていったのです。
「素材からすべてつくる」独自性
皆川氏は、文化服装学院での自分のことをこう語ります。「入学して改めてわかったのは、自分は洋服づくりが苦手だということ(笑)。部分縫いの課題も満足に提出できないし、先生が教えてくれることも理解できない」。
ただ、決して服づくりを諦めることは無かったと言います。アルバイトで資金が貯れば、フィンランドなどの海外へ行き、自分なりの「デザイン」を模索する日々が続きます。
卒業後はほかの卒業生のように、有名ブランドへ就職することもなく、小さなアパレルメーカーで現場仕事からじっくりと経験を積みました。そこで出会った製造方法が、「オリジナルのテキスタイル(布地)をイチからつくること」でした。皆川氏は、このことこそ、「服をつくる」ことだと感じ、自分の独自性を発揮できる手段だと感じます。
自分を表現する手段を胸に、皆川氏は1995年自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立、5年ほどは経営的に難しい時期が続きますが、2000年ころからユナイテッドアローズ、ビームス、ベイクルーズといったセレクトショップでの扱いが開始されます。2004年には若い頃にファッションの道へ進むきっかけとなったパリコレにも参加、世界的なブランドへと成長していくのです。
100年続くブランドを目指して
参照:https://www.mina-perhonen.jp/fashion/22ss/
「せめて100年続くブランドに」。これは、皆川氏が1995年にブランドを立ち上げたときに、紙に書いた言葉だと言います。そして、100年継続させるには、「100年続くデザインが必要」とも語ります。その考えとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
ファッション業界の常識に流されない価値観
参照:https://www.onestory-media.jp/post/?id=3907
皆川氏の服づくりの根幹は、生地からオリジナルで製作しデザインすることです。そして、その服を長く大切に着てもらいたいとの思いがあります。それを実現させるために「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」は、流行に関わらない決断をしました。
今までのファッション業界は、半年ごとに新しいデザインのものを大量につくり、シーズンの終わりにはバーゲンセールで売り切っていきます。そのような業界の構図では、セールでの値下げ分も考慮して原価が計算されるため、製造現場にコスト的なしわ寄せがかかってしまうのです。製造現場でコストが抑えられれば、モチベーションやパフォーマンスも低下し、せっかく高品質な技術を持っているのに、それを商品に付加できなくなってしまいます。
皆川氏はそれを避けるために、良い素材で高付加価値の洋服を、流行にとらわれずにつくり続けることにしたのです。それは、同氏が好む北欧のデザインにも共通していて、「人の感性や思考は人生を通じて大きくは変わらず、好きなものは好きなままということを示している。それはファッションも同じだと思うのです」と語っています。
東京スカイツリーや金沢21世紀美術館のユニフォームも手掛ける
皆川氏がデザインした東京スカイツリーのユニフォーム 参照:https://www.fashionsnap.com/article/2011-11-04/mina-perhonen-tokyo-skytree/
「流行にとらわれずに良いものをつくる」という考え方は、製造現場にも活気をもたらし、業界内外で多くの人に支持されています。例えば、ユニフォームの分野でも皆川氏の考え方は好意的に受け止められています。長く着続けられる普遍的なデザイン、そして機能性は、今まで東京スカイツリーや金沢21世紀美術館など、有名スポットがユニフォームとして採用しています。
カジュアルでも、フォーマルでも、ユニフォームでも、良いものを長く着られるようにつくる皆川氏。現在、しきりに叫ばれている「持続可能な社会」にも符合します。
「ものは人の命よりも遥かに長く生き続ける」皆川氏は、そう考えながら日々、素材から始める丁寧な服づくりを実践しているのです。