バレンシアガってどんなブランド?
出展:FARFETCH
バレンシアガがブランドとして設立されたのは1914年。バスク系スペイン人のクリストバル・バレンシアガによって作られました。
後に長くパリを拠点とすることになるのですが、当初出店したのはスペインのバスク州サン・セバスティアンになります。
ブランド立ち上げ当初はモード系ブランドとしてオートクチュールで受注生産の体制をとっていましたが、現在はどちらかというとラグジュアリーなストリートブランドとして広く知られているというイメージなのではないでしょうか。
クリストバル・バレンシアガとブランドの遷移
出展:THE RAKE
クリストバル・バレンシアガは、1985年にスペイン・バスク地方の漁村ギプスコア県ゲタリアに生まれました。
母親が裁縫師を生業としていた影響からバレンシアガは幼いときから手仕事を行う母親の元で育ち、本人も洋裁見習いとして働き始めます。このときの年齢はなんと12歳!
10代という若さでもう顧客がついていて、ゲタリアの町でもっとも裕福で高貴な身分の伯爵夫人までもがバレンシアガの上級顧客となりパトロンとなっていました。
マドリードでの修業と開業
この伯爵夫人はバレンシアガに洋裁師としての修業を積ませるために、彼をマドリードに送ります。
修行して、正式な洋裁師となったバレンシアガは1914年にギプスコア県サン・セバスティアンに自身のブティックを開店させました。
それからマドリードとバルセロナにも支店を出します。この頃にはなんとスペイン王室と王侯貴族たちもバレンシアガの顧客になっていたのだとか。
フランス・パリでの再出発
しかし、スペインでは1936年にスペイン内戦が勃発してしまいます。3年後の1936年には終戦となるのですが、バレンシアガもこの戦争の影響を受けてしまったことでお店を閉めてフランス・パリに移住することにしました。
1937年8月、パリ・ジョルジュ・サンク通りにクチュールメゾンを開店させます。
クチュールメゾンは、オートクチュールを専門とするメゾンのこと。メゾンはフランス語で家や建物を表す言葉ですが、ファッション業界ではお店や会社の意味を持ちます。
クチュールは仕立て服のこと。デザイナー自らが顧客のために完全オリジナルで洋服を制作するためのお店をクチュールメゾンとしてパリに出店したのです。
バレンシアガはこれ以降パリを拠点として出店・活動を行うことになります。
パリ出店以降のデザインの移り変わり
出展:High-Brands.com
1950年から60年代、当時の女性向けファッションはディオールに代表されるウエストをキュっと絞るコルセットが非常に人気があった時代です。
これらの窮屈とも言えるデザインに対して、バレンシアガは1955年に「チュニック・スタイル(チュニックドレス)」を発表します。
現在のファッションではチュニックとタイトスカートを合わせることはあまりないですが、当時はチュニックにタイトスカートをあわせるのが基本で、このファッションはチュニックドレスと呼ばれました。
チュニックは多くのデザイナーが取り入れたデザインでしたが、その中でも特にバレンシアガはチュニックを極めていきます。
1957年には「サックドレス」を発表します。
サックは「袋」という意味。バレンシアガのデザインに共通するのは、女性の体のラインを拾うコルセットやぴったりした服ではなく、体型に関係なく着ることができるゆったりしたデザインであること。それでいて非常に洗練されています。
また、シンプルで機能的なデザインを妥協なく追及したデザインとして、「バレル・ライン」と呼ばれる新しいラインを発表します。バレルは樽のこと。まさに樽のようにボリュームのあるシルエットを取り入れて、バレンシアガというブランドを唯一無二のものにしていきました。
これらのファッションは最初から大勢に受け入れられたわけではありません。
当時はウエストを締め上げるドレスが流行の最先端だったので、ボディラインを拾わないシルエットは女性の美しさを隠してしまうことにもなりました。
美意識の高いフランスでは不評とも言われていたのですが、ウエストラインのマークがないことの新しさとコルセットのない着やすさが女性には受け入れられました。
バレンシアガはこんな言葉を残しています。
「私の服を着るのに完璧も、美しさも必要ない。私の服が着る人を完璧にし、美しくする。」
当時の女性にも現代女性にも、これから先を生きる人々にも誰にとっても頼もしい言葉ですね。
バレンシアガの評価
出展:FASHION PRESS
バレンシアガが活躍した1950年代のデザインは、クリスチャン・ディオールを中心に動いていきます。
ディオールは1947年の春・夏シーズンにパリコレクションでデビューしているのですが、フレアスカートをウエストラインでキュっと絞ったその様子は、まるで数字の「8」のようなシルエットでした。
女性らしさ、女性のエレガントな部分が強調されているデザインは「ニュールック」と呼ばれました。
クリストバル・バレンシアガは、妥協することを許さないクチュリエとして、このディオールらからも一目置かれる存在となりました。
ガブリエル・シャネルからは「真の意味でクチュリエと呼べる唯一の人物」と称され、クリスチャン・ディオールからは「我々全員にとっての師」などと高い評価を得ていたんです。
ちなみに、この3名は日本でも非常に知名度が高いデザイナーでありブランドを確立していますが、ガブリエル・シャネルは1883年8月19日生まれ、クリスチャン・ディオールは1905年1月21日生まれ、クリストバル・バレンシアガは1895年1月21日生まれなのでデザイナーとして活躍している時代が非常に近いことがわかりますね。
日本で愛されるバレンシアガ・ファッション
世界ではハリウッド女優やミュージシャンらがバレンシアガファッションに身を包んでいるスナップショットをよく見かけますが、日本ではどうでしょうか。
2006年にバレンシアガ・ジャパンが誕生
日本では2006年にバレンシアガ・ジャパンが設立されました。バレンシアガブランドの輸入販売を担ってきたリステアグループとグッチグループが共同出資して設立したのがバレンシアガジャパンです。その後、何度か統合を行って現在はケリングジャパンがバレンシアガ・ジャパンを運営しています。
近年はBALENCIAGAのロゴが入ったキャップやバッグを持ち歩いている若者もよく見かけますし、スニーカーも人気があります。どちらかというとストリートブランドとして注目されているという感じでしょうか。
大人の男女に非常に人気が高いのがレザーとスタッズが特徴的なバッグです。
出展:BALENCIAGA
こちらはウィメンズの「NEO CAGOLE CITY」ですが、ほかのデザインやメンズ向けもありますので、ぜひチェックしてみて下さい。
また、2021年にはFortnite(フォートナイト)とバレンシアガがコラボしたデジタルファッションも話題になりました。
バーチャルストアからバレンシアガのファッションやアウトフィットを入手して、ゲーム内でバレンシアガファッションを楽しめるのです。
このパートナーシップを記念して、リアルでもフーディやTシャツなどが販売されました。
出展:FASHION PRESS
今では女性がゆったりとしたシルエットの洋服を着ることもよくありますが、モード界でゆったりファッションを初めて作ったのはバレンシアガとも言われています。
クチュールメゾンから始まり、現在のようにロゴが目立つアイテムをストリートに取り入れられるようになるまでには実は非常に長い月日がかかっていて、現在の方向性は2015年にデザイナーとしてデムナ・ヴァザリアが就任してからだと言われています。
バレンシアガは時代とともにデザイナーが変わるのですが、このお話は次回また詳しくご紹介します。
街でバレンシアガファッションを見かけたら、創立者であるクリストバル・バレンシアガが女性のファッションや生き方にもたらした多大なる影響についても目を向けてみてはいかがでしょうか。