「【vol.1】今改めて考えるLOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)の人気の理由」では、職人ルイ・ヴィトンの旅立ちから、自身のアトリエが大きく成長するところまでを見てきました。
外国からの需要と新しい問題
1859年にアニエールに立ち上げたアトリエから生み出されるルイ・ヴィトンのトランクは、フランスだけでなく外国からも人気を得て注文が増えるようになります。
職人ルイ・ヴィトンは硬い木材を扱う技術に秀でていて、そのままでは手触りが悪く、高価なドレス、スカート、クリノリンを収納することに向いていない木製トランクに生地を張り付けることで手触りを良くする技術を開発しました。
そして何よりもこれらをコツコツと作り上げる仕事を愛していました。
時代のその先を見る目と高い技術力がある職人で、彼が作るトランクは品質が高くこれまでのトランクよりも格段に使いやすかったことから、必然的にセレブや貴族に選ばれていったのです。
ルイ・ヴィトンというブランドに人が集まるというよりも、ルイ・ヴィトンとそのアトリエが作る製品はどこよりも確実なものだから、高いお金を払ってでも手に入れる価値があるという確かな需要があったのです。
しかし、製品に人気が出ればでるほど、ルイ・ヴィトンのアイテムを真似して儲けを出そうとする偽物も出回ることになります。
ここからのルイ・ヴィトンの歴史はコピー商品、偽物と戦う歴史でもありました。
なぜコピーが出回ったのか?
出展:ルイ・ヴィトンナビ!
当時のルイ・ヴィトンのトランクは、木製の箱に布地を張り付けるという手法で製造されており、これは優れた技術だったのですが模倣しやすい製法でもありました。
偽物が出回り始めたときにルイ・ヴィトンが行ったことが生地を変えるという方法です。しかし、すぐに新しい生地も真似をされ、コピー商品が出回るというイタチごっことなってしまいます。
新作が次々とコピーされる中で、1888年、ルイ・ヴィトンの後を継いだ息子のジョルジュ・ヴィトンの発案でベージュのチェス盤柄にルイ・ヴィトンのブランドロゴを入れたダミエ・キャンバスでトランクが製造されます。
これが今も続く「ダミエ」の歴史の始まりです。
ブランドが大きくなるにつれ、偽物に悩まされるようになったルイ・ヴィトンでしたが、ビジネスは非常に順調でした。
ルイ・ヴィトンの製品を求めるどんなニーズに対応しようと、1892年には新たにハンドバッグの製造・販売も開始します。
ルイ・ヴィトン死去
1892年、ルイ・ヴィトンは71歳で生涯を終えました。
ルイ・ヴィトンの意志を継いだのは息子のジョルジュ・ヴィトンです。
登録商標が行われているにも関わらず後を絶たない偽物に対して、ルイ・ヴィトンの頭文字「L」と「V」を組み合わせてモチーフにした「モノグラム」を商標登録します。
現在のモノグラムはプリントになっていますが、当時は職人が手描きで描いていたそうですよ。
誇りを持ってルイ・ヴィトンブランドに携わる職人の腕と労力によって、偽物は減っていきました。
偽ブランド、コピー品には手を出さないで!
ちょっと話がそれますが、一流ブランドの影には必ずと言って良いほど精巧なコピー品が存在します。
裏を返せば偽物を作られてこそ一流ブランドと言うこともできるのかもしれませんが、偽ブランドが出回る背景には「消費者が欲しがるから」という理由もあります。
しかし本物そっくりなのに安いからという安易な理由で偽ブランドを買い求めることは愛するブランドの名を汚すことになります。
また、近年は偽ブランドの販売売り上げが反社会的勢力の資金になってしまうこともあります。
違法行為を行う人たちに知らない間に個人状況を提供することにもなりますし、資金提供をしてしまったことでトラブルに巻き込まれるリスクもあります。
本当に愛しているブランドだからこそ、わたしたちはコピー商品に手を出さないようにしましょうね。
アメリカへのブランド拡大
1900年代に入ると、ジョルジュ・ヴィトンはアメリカにわたりヴィトン製品の売り込みに力を入れます。
ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアなどの都市でヴィトンのすばらしさをアピールしました。
1906年頃になると、移動手段が馬車、船、汽車から自動車や飛行機に変わり、特に自動車が大衆にも普及し始めるモータリゼーションが起こります。
時代が変わると人々の需要も変わるものですが、これまでも時代に先駆けて必要不可欠なアイテムを世に出してきたルイ・ヴィトンブランドはここでも新作を次々と発表します。
自動車での旅に適したトランク、飛行機が万が一墜落しても海の底深くに沈むことがないくらい気密性の高いトランクなどを発表したのです。
世界7か国にブランドの代理店を出展し、ルイ・ヴィトン製品のすばらしさをアピールしました。
パリ シャンゼリゼ通りへの移転
世界に向けて製品を製造販売するようになったルイ・ヴィトンブランドは、1914年にパリ シャンゼリゼ通りに旅行専門のアイテムを販売する路面店をオープンしました。
その大きさは約500平方メートルほどで、世界でいちばん大きなお店となりました。
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現在のパリ シャンゼリゼ通り ルイ・ヴィトン本店
500平方メートルはテニスコート2面分程度なので、現在のブランドショップと比較するとそう大きなものではありませんね。
しかし、1914年当時、しかも旅行グッズ専門の路面店と考えるとその規模がわかります。
この躍進によって、ルイ・ヴィトンはフランスだけでなく世界的なブランドへとさらに発展してきました。
タイタニック号にも積まれていたルイ・ヴィトンのトランク
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20世紀の初めに造られたイギリスの船舶「タイタニック号」のは皆さんご存じかと思います。
タイタニック号は1912年4月14日に処女航海で氷山にぶつかってしまったことによる浸水が原因となって、翌日15日に沈むこととなりました。
あのタイタニック号にも乗客が持ち込んだルイ・ヴィトンのトランクが積まれていたと言われています。
事故が発生して、乗客とたくさんの積み荷が海に投げ出されることとなったのですが、ルイ・ヴィトンのトランクにつかまって救助を待ったことで助かった人もいると言われています。
沈まない構造を目指して開発したトランクが人命をも救ったんですね。
また、これは逸話ですが、タイタニック号沈没の何十年も後になって船室から発見されたルイ・ヴィトンのトランクにしまわれていた遺品は、なんと水にも濡れていなかったのだとか。
今回のルイ・ヴィトン エピソードはここまでです。
次回は、ルイ・ヴィトンのラインやデザイナーについてもっと見ていきましょう!