現代女性に知ってほしいコム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)の「Holes」


出典:VOGUE JAPAN

2024年3月2日(現地時間)に開催された2024-25年秋冬パリコレクション。
パリ市内の閉店したデパートでは、「ANGER(怒り)」をテーマにしたコム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)の発表が行われました。

コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)とは?

コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)は言わずと知れたファッションブランド。
ブランド名の意味としては、「少年のように」というニュアンスを持つフランス語です。

コム デ ギャルソンと川久保玲のスゴさがわかる世界的な出来事として、近年では2017年 メトロポリタン美術館での展覧会があります。
ここでは1981年に初めてパリコレクションで発表されたものから当時に至るまでのコム デ ギャルソンの約120着のクリエイティブが紹介されました。
メトロポリタン美術館で存命のファッションデザイナー個人の展覧会を行うのは、1983年に開催されたイヴ・サン=ローランに続いて史上2人目です。
これだけでも川久保玲がどれだけ世界のファッション界に影響を及ぼした人物なのかということがわかります。

 

コム デ ギャルソンの「Holes」

1982年3月25日のパリで開催されたパリコレには世界中から関係者が集まり、新作のコレクション発表に胸を躍らせて注目していました。
ここでコム デ ギャルソンが発表したのが、ところどころに穴が空いたルーズなシルエットを持つ真っ黒なセーターです。


出典:EMIT TOKYO
よく見るとインナーの襟もヨレていますね。
のちに「Holes」と呼ばれることになるこのセーターに、当時のメディアは一斉に大批判を展開しました。

令和に生きる女性からすると42年後の今この瞬間に着てもファッションにハマるおしゃれなセーターに見えるのではないでしょうか。
むしろ、多様性が叫ばれる現代を表現するかのようなシンボリック性すらあるように感じます。

パリコレのように最新ファッションが発表される場で斬新なデザインがどうして批判されるの?と不思議に感じるかもしれませんが、その批判は本当に辛辣で、フランスの週刊誌パリマッチでは、「貧乏に見せたい人のための新しいファッション」「税務署に行くときなどに着るといい」などのコメントが掲載されています。
また、フィガロ誌では「核の惨禍の生き残り」「爆弾テロの後のよう」と最低以下の評価を受けています。

Holesは「ジャパンショック」「黒の衝撃」「ボロルック」「乞食ルック」などの異名をも受けることになるのですが、なぜ世界はここまで強く反応したのでしょうか。

 

Holesはなぜ世界に衝撃を与えたのか

Holesが世界に衝撃を与え、当初批判を受けた理由は、一言で言うと「美しさとは何か」という問いを投げかけたからと言えます。

この当時の(今もその風潮は残っていますが)、美しさの基準は西洋の価値観によって決まるといっても過言ではありませんでした。
西洋人が美の基準とするものは対照的な調和であったり、女性の場合は丸みや曲線の表現で、男性はギリシャ彫刻に見られるような筋肉美を想像するとわかりやすいでしょう。
ファッションでも女性の場合は胸と腰にかけての曲線美、柔らかい肩などが強調されることが美しいものとして評価されており、ファッションには華やかさやグラマーであることの美しさが必要不可欠だったのです。

一方、Holesの真っ黒でユルだぼのルーズシルエットは女性のボディラインが見えず、フォルムも明確ではありません。

そして、穴!
大きさもバラバラ位置も不規則で、じっと見ていると不安になってくるようなところもあります。

そして黒という色です。
当時の西洋では黒という色は喪服を想起させる色で、ファッションに取り入れることはタブー視されていました。

色とりどりの華やかな鳥や蝶のようなファッションこそがこの世の美しさとされている中に、カラスのような真っ黒なウェアを着た女性が現れたら、さらにその服にはところどころ穴が空いていたら・・・。

Holesにすぐに新しい可能性を見出す支持者もいたのですが、当時の価値観からすると宇宙人と言っても過言ではない強烈なインパクトに人々は困惑したのです。

 

Holesが持つ美しさが理解され始める

川久保玲は、その後も世界の基準とは異なる一貫した美しさを持つコレクションの発表を続けます。

その結果、後のミラノコレクションなどでは、多くのデザイナーがなんと黒を貴重にした服を製作するようになります。3年後となる1985年3月のニューヨーク・タイムズでは、「彼女の服はもはや異質には見えない。西洋が彼女の感覚に慣れてきた」と記事にしています。
また、アレキサンダー・マックイーン、マルタンマルジェラなどは川久保玲にインスパイアされたことをコメントしています。

川久保玲のHolesは西洋の美意識を変革することに成功して、女性の多様な美しさを世界に広めたのです。

 

悩み多き現代女性に通じる川久保玲の「仕事」

服の好みは様々ですが、ファッションの意味を問うことから川久保玲が続けてきたことは、すごくかっこいいと思いませんか?

2024年のインタビューで、Holesをどんな思いで製作したのか、何が発想になったのかなどのきっかけを問われた川久保玲は、とても興味深いことに思い出せないと言っており、Holesから私たちが勝手に想像するようなアンチテーゼが最初に存在したわけではなさそうです。

ただ漠然と生きるのではなく、いつでも「自分」というものを持ち続けて、新しいものを探し続けるアンテナを張っているからこそ生まれたのではないかと私は感じます。

川久保玲は大学を卒業して大手の繊維メーカーに就職し、宣伝・広告の仕事に就きます。
この1964年当時、仕事をするのは男性が中心で、女性の平均勤続年数はなんと約4年、給料は男性の半分も出ないような時代でした。男性社員へのお茶汲みも仕事のひとつで、女性は家庭に入って子供を育てるものという風潮だった頃です。

こんな時代の中、3年で退職して独立してデザイナーという道を選んだ川久保玲にとって、女性が自分で仕事を持って生きるということは、ここに表せないくらい大変なことだったはずです。
そうして勝ち取った自由から生まれたのがHolesなのです。

川久保玲の表現に感じる「強い意志を持つ女性」は、特別なところにしか存在しないような女性ではありません。街のどこにでもいる私たちもそうなのです。
ファッションにはパワーがあると言いますが、自由であり続けるために服を作り続ける「仕事」をしてきた川久保玲に、私たちはとても励まされます。
現在の私たちが自分らしく生きられるのは時代や社会の価値観に迎合せずに、ファッションを通して自立して生きる道を切り開いた川久保玲のような女性の存在も大きいのです。