ファッションの街、原宿で生まれ育った環境が影響
丸山敬太氏 参照:https://www.glam.jp/glammen_15_keitamaruyama/
丸山敬太氏は、1965年渋谷区生まれ、神宮球場にほど近い場所で育ちます。父親はサンケイアトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)のプロ野球選手で、周囲は丸山氏にもスポーツ選手としての才能を見出そうとしていたそうです。しかし、本人は「野球選手に憧れることはなかった」と言うように、スポーツには興味がなく、花や蝶などの絵を書いたり、裁縫が上手だった母親のつくってくれた洋服を着ることが大好きでした。原宿、青山という地に育った丸山氏は、その環境により、絵やファッションへの興味をさらに増幅させていきます。今回はドリームズカムトゥルーなど多くのアーティストの衣装を手掛け、ニューヨーカーなどの他ブランドとも積極的にコラボしている丸山敬太氏をご紹介します。
「自分の力で稼げる人」に
絵を描くことや洋服をつくることへの興味が大きかった丸山氏は、会社勤めではない父の影響もあり、「自分の力で稼げる人」になりたいと思うようになります。
高校はグラフィックデザイン科に進学、その後両親の勧めで大学に進学をしますが、一刻も早く服づくりの道に進むために1年で中退し、文化服装学院へと再入学を果たします。そこから丸山氏は、洋服をつくれることの楽しみを実感しながら、一心不乱に服づくりへ取り組みます。
「少しでも服づくりがうまくなりたい」という思いは、技術や感性などを刺激して、丸山氏は在学中に数々のコンテストで入賞、優秀な成績で3年間の学生生活を終えることになります。
就職を経てフリーへ、そして周囲に支えられデビュー
参照:https://www.keitamaruyama.com/store
卒業後の就職先は、ビギグループの「アツキオオニシ」ブランドへと入社、約4年間アパレル産業の仕組みや工程など、商業ブランドについて多くの知識を身に着けます。その傍ら、文化服装学院時代の先輩や親しくしていたスタイリストに依頼され、仕事の空き時間にコマーシャルなどで使う衣装製作をおこなっていました。
1990年にフリーランスになったのは、その衣装デザインが評判となり、数多くの制作依頼が舞い込んできたためで、現在でも携わるドリームズカムトゥルーの衣装製作を始めたのもこの時期でした。
しかし、一点物を自分で製作する「衣装デザイナー」としての仕事には、不安や疑問もあったと言います。それを解消するためには、「自分のブランドを立ち上げるしかない」ということに気づいた丸山氏は、すぐに行動へと移します。
ブランド設立に大企業の後ろ盾こそありませんでしたが、周囲には彼のデビューを喜んで手伝う仲間が大勢いました。丸山氏の夢を応援するために、まさに「手弁当」で奮闘してくれたと言います。
そして、1994年に多くの仲間たちに支えられたデビューコレクションは大成功。問い合わせが殺到することとなり、ここにブランドデザイナーとしての丸山敬太氏が誕生したのです。
ファッションの可能性を追い求める
ブランドデザイナーとしてデビューした丸山氏は、1996年、第14回毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞を受賞、東京・青山に旗艦店をオープンします。また、東京、パリ、香港、シンガポールなど、世界の舞台でコレクションを発表するなど、世界的な活躍を続けます。そして、2021年、世界中が新型コロナ感染症に苦しむ中でもファッションを通して「次世代につなげる」エンターテイメントなショーを開催しました。
伝統文化も取り入れた2021年のショー
ショーの模様 参照:https://soen.tokyo/fashion/feature/keitamaruyama220118/
ショーは東京・六本⽊EX THEATER ROPPONGIにて開催。テーマは「春はあけぼの、夏は夜、秋は⼣暮れ、冬はつとめて・・・ITʼS SHOW TIME」。⽇本の伝統⽂化の継承にフォーカスさせながらファッションを提案した新しい形のショーとなりました。
歌舞伎や和楽器を多用して、伝統文化とは何か、というテーマを模索。「何かを表現していくなかで脈々と日本人が内に秘めているものを伝えていく。伝統文化から派生して新しいものが次々と生まれているんです。それを知らない若者がまだまだ多い。そこを繋ぐことに少しでも力になれたらと思いました」と丸山氏が語るように、ビジネスだけではなく、クリエーターとして次世代に伝えるべきことを表現したショーとなりました。
繋がりを大切にして、伝えてゆく
参照:https://www.keitamaruyama.com/collection
ショーの出演者は冨永愛さんをはじめ、歌舞伎の尾上右近さん、乃木坂46の斎藤飛鳥さんなどのゲスト出演者に加え、丸山氏の初期のコレクションに出演していたレジェンド的なモデル達も参加。人と人とのつながりを大切にする丸山氏らしく、多彩な分野から人々が集まっていました。
今回のショーでは日本のファッションを牽引した、髙田賢三さんや山本寛斎さんなど丸山氏が影響を受けたスピリッツを、若い人に受け継いでいきたいという思いが強かったと言います。
「この数年間コロナ禍のせいでやりたいことも出来ず、ちょっとつまらなかった。ショーにでている人もそれは感じていたみたい。若い人たちには、その継承するということを形にしてバリエーションで見せてあげることが必要なんだと思いました」と語る丸山氏。これからも多方面での活躍が期待されるデザイナーです。