1980年代は世界的な好景気で日本も景気が上昇しバブル期に突入。ヤング世代からシニア世代まで、お金をかけたファションを楽しむ時代でした。
また、イギリスでは女性首相サッチャーが誕生するなか、日本でも女性の社会進出が進み、キャリアウーマンを対象としたキャリアファッションが浸透しました。
そこで、1980年代を代表する「ボディコン」「カラス族」「ジャパニーズ・プレッピー」「渋カジ」「ハマトラ」「オリーブ少女」などについてお伝えします。
ボディコン
ボディコンシャスなファッションが注目されるようになったのは、1981年のミラノコレクションにアズディン・アライアが発表したスタイルがきっかけとなります。体に密着する素材を使って、ボディラインを強調した服が特徴です。
1980年代のレディースファッションの中でも、肩パッドで肩を強調させた「コンサバスタイル」のスーツやジャケットが目立ちました。
出典元:https://middle-edge.jp/articles/I0000512
また、ボディコンファッションは、赤や黄色などの原色のカラーやゼブラ柄やひょう柄など目を引く色や柄を用いたものが主流です。女性の社会進出の象徴のようなスーツスタイルは、「ニューリッチ」「エグデクティブブウーマン」と呼ばれました。代表的ブランドとしては、アルファキュービック、ジュンコ・シマダ、ピンキー&ダイアン、アズディン・アライアなどです。
もともとは、女性の社会進出のためにデザインされたようですが、日本ではボディコンファッションは主に遊び着として広まりました。ファーのついた「ジュリ扇」と呼ばれる大きなセンスを持ち、ディスコで踊る映像がテレビでもよく放映されました。
ジュンコ・シマダ
ジュンコ シマダ(島田順子)は、1941年生まれのデザイナーで、フランスのパリを拠点に活躍しています。パリのエリプス漂う、都会的な女性たちに送るブランドをテーマに、次々と作品を発表しています。
カラス族
出典元:https://artsandculture.google.com/asset/crow-tribe%EF%BC%8Fkarasu-zoku/3AFe9-fsR6q90g?hl=ja
黒やモノトーンが流行したのは1982年の春夏のパリ・コレクションで川久保玲と山本耀司が作品を発表したのがきっかけとなります。彼らは、現シャネルとフェンディのデザイナーであるカールラガーフェルドや、ジャンポールゴルチェ、ダナキャランから評価されました。
コムデギャルソン、ヨウジヤマモト、コムサデモード、スクープ、ワイズなどのDCブランドが続々と黒のファッションを打ち出し、日本でも、上から下まで全身黒ずくめの服装が若者に好まれ、街は黒いファッションが目立つようになります。
黒のロング丈のトップスや黒のジョッパーズパンツ、黒のレイヤードスタイルがカラスのようなイメージなので、「カラス族」と呼ばれるようになりました。
川久保玲と山本耀司
ファッション界で語り継がれている「黒の衝撃」とは、川久保玲さんが手がける「コム・デ・ギャルソン」と山本耀司さんが手がける「YOJI YAMAMOTO」の2つのブランドのデザイナーが起こしたファッション革命とも言われています。1950年代からオールブラックコーデはありましたが、1980年までは現代ほど黒を基調としたコーディネートは普及していませんでした。
この2つのブランドのデザイナーによって「喪服」のイメージがぬぐい切れなかった日本人にも黒がおしゃれな色として受け入れられるようになりました。
ジャパニーズ・プレッピー
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1950年代に流行した「アイビー・ルック(アメリカン・トラディショナルスタイル)」に対して、「プレッピー」は1980年に出版された『PREPPY HANDBOOK』によって発信されたスタイルです。アメリカの一流私立の学校を意味するプレパラトリー・スクール(予備学校)から生まれた言葉で、アイビー・ルックよりもカジュアル感があります。
エンブレム入りのブレザーやラガーシャツ、ポロシャツ等が日本の若者にも人気で、彼ら流に着こなしたことから、ジャパニーズ・プレッピーと呼ばれ流行しました。ジャパニーズ・プレッピーの特徴は、ボタンダウンのシャツ、チェックのパンツ、白の靴下にローハーなどで、人気のブランドは、ポロ・ラルフローレンやラコステでした。
渋カジ
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渋カジとは、渋谷のカジュアルファッションの略で、1980年代後半~90年代に、渋谷の高校生から発信された若者のファッションスタイルです。渋カジのアイテムは、ポロシャツ、ローファー、ジーンズといったシンプルなものでした。
ジーンズやポロシャツ、Tシャツなどに、金ボタンの紺のブレザーを合わせることで、キレイなカジュアル「キレカジ」というファッションが、男女を問わず若者に支持されました。カジュアルファッションながら、有名ブランドの商品が好まれていました。
ハマトラ
出典元:https://ure.pia.co.jp/articles/-/28190?page=6
ハマトラは1970年代に神戸で流行したニュートラスタイルに対抗して生まれたァッションと言われています。ブラウスに膝丈のスカート、ハイヒールを合わせたお嬢さん風スタイルが主流で、「横浜発祥トラッディショナル」を略したもので、1970年代後半から80年代前半にかけてに流行しました。
女性らしいトラッドスタイルが基本で、雑誌「JJ」をお手本にコーディネートする若い女性が多く、ナチュラルで清楚なファッションスタイルが中心です。スカート丈は、ひざ丈のAラインやタイトすぎないナチュラルなタイトスカートで、 トップスは、上品なブラウスやセーターと言ったコーディネートです。
当時のハマトラコーデと言えば、洋服はフクゾー、靴はミハマ、バッグはキタムラが定番だったようです。
オリーブ「Olive」少女
オリーブ「Olive」少女とは、ガーリーでロマンティックなスタイルが好きな女の子といった意味で、1982年にマガジンハウスが創刊した「Olive」がお手本となっています。大きな襟のブラウスやティアードスカートが主流でしたが、スニーカーやスウェットなどと合わせて、カジュアルに着こなすスタイルにも人気がありました。
1983年にはロマンティックで個性的なデザインが特徴のツモリチサトがデビューし、ガーリーファッションは大人の女性にも人気となります。また、リボンやレースのついたかわいく夢のあるスタイルのピンクハウスも評判でした。
ツモリチサト
ガーリィでセクシーなファッションを提供し続けていた「ツモリチサト」ですが、2019年に株式会社エイ・ネットとのライセンス契約満了に伴い、同社による「ツモリチサト」ブランド事業を終了しました。現在は自身の事務所ティー・シィー(T.C)でのデザイン活動をおこなっています。
2022~2023年の秋冬コレクションのアイテムがオーダーできるオンライン受注会を2022年3月14日(月)の正午まで開催中です。今回はフランスの童話「長靴をはいたネコ」からインスパイアされたコレクションです。
ピンクハウス
「ピンクハウス」は1972年に金子功が立ち上げたブランドです。ビスチェやドロワーズをて重ねたレイヤードスタイルと、花柄プリントが1970年~90年代にかけて大人気となりました。
根強いファンに支持されて来ましたが、近年再び20~30代の若い世代に人気が出てきています。企画として、今年3月19日から特設サイト「タイムレス ピンクハウス」「ゾゾタウン」などや東急プラザ銀座や阪神百貨店、名鉄百貨店などの主要直営店で商品の入手ができます。
ファッションの黎明期である1980年代
バブル期と呼ばれる1980年代は、ファッションの多様化の時代でもありました。原色を使って体のラインをアピールするスタイルも、ナチュラルでシンプルなファッションも、黒づくめのファッションもフリフリのスカートもすべてお金をかけたファッションでした。
この時代からファッションの多様化が進み、今も当時のファッションの影響を受けたスタイルを楽しむ人も多くみられます。