今、注目される日本のデザイナーXXXVIII~古田 泰子(ふるた やすこ)~

世界で活躍する個性派デザイナー


古田泰子氏 参照:https://brandavenue.rakuten.co.jp/contents/fashionweek/trend/011/?l-

古田泰子氏は、1971年岐阜県の生まれです。高校卒業後にエスモード東京校に入学、3年生のときにはパリ校に編入をしています。1997年には自らのブランドである「TOGA(トーガ)」をスタート、2006年にはパリコレに参加し、2014年にはロンドンにも進出するなど、世界的に活躍するファッションデザイナーです。その個性的で、時には「尖っている」とも表現されるデザインは国内外で多くのファンを持っています。今回は世界で活躍する個性派デザイナー、古田泰子氏をご紹介していきます。

小学校1年生のときからファッションデザイナーを目指す⁉

古田氏がファッションデザイナーを目指したのは、非常に早く小学校1年生の時だと言います。とは言っても、「ファッションデザイナーになりたい」と家族に話していたそうですが、本人は当時の記憶が、まったくないとのこと。子供の頃のあこがれを口にしたのかもしれません。しかし、そのあこがれを現実のものとした古田氏の行動力と才能は、素晴らしいものがあります。
そのベースとなったものは、第一に家庭環境だったようです。3人姉妹の末っ子で、姉たちの影響で早くからファッション誌を見たり、深夜のテレビドラマを見たりと、大人びたファッションの影響を受けたといいます。非常に好奇心も強かったそうで、さまざまなことに興味を持ち、現在のデザインにも反映されている「個性」を育んでいったそうです。

エスモード東京校から、パリ校へ留学


参照:http://www.toga.jp/2022aw/toga/

当時の日本人デザイナー川久保玲氏や山本耀司氏にあこがれていた古田氏は、エスモードパリ校への留学を決意。「日本とはまったく違う息が止まりそうな緊張感の中で、夢中になってランウェイの洋服を見ていた。こういうレベルで洋服を発表している人がいると考えるだけで、ちょっと震えるというか」と語るように、デザイナーへの道程に大きな影響を受けました。
ただ、帰国後は一点もの衣装などの仕事が多く、一般の人に届く洋服作りとは少しかけ離れた現場で働いていました。そのことに疑問を持った古田氏は、あこがれれだったコム・デ・ギャルソンの正社員試験にチャレンジ。最終面接までいったのですが、残念がら採用には至りませんでした。
そこで、古田氏は大きな決断をします。それは、数年前に立ち上げて、そのままになっていたブランド「TOGA(トーガ)」を、本格的に始動させ、自らがデザイナーになることでした。

着る人の「強さ」が引き出される服づくり

ブランド名である「トーガ」とは、古代ローマ時代に着用されていた、一枚の布を纏う服のこと。ファッションの原点とも言われるトーガをブランド名にしたことは、古田氏の洋服に対する強い思いが伝わってきます。着る人のことを考えた洋服づくりを心がけるその思いは、個性的なデザインとなって表現されることもあります。

着る人がメインとなるモードを


参照:http://www.toga.jp/2022aw/toga/

古田氏は、自らの服を次のように語っています。「特に自分たちで“TOGAらしさ”を意識しているわけではないですが、TOGAの服が着る方にとって自分を伝えるための手助けになれたらと願っています。何かしら提案があり、袖を通したときに何か考えさせられる服を選ぶことで、その人自身の強さを引き出せたらと考えています」
着る人がメインとなり、そして、その人の強さや個性が伝わるような服、それが古田氏の創り出すファッションなのです。

ジェンダーで生き方を変えなくて良い社会

古田氏の提唱する、個人の強さや個性。それは、以前から語っていた「女性に対する不平等を感じることのない社会にしたい」という思いにつながっています。
「人には服を選ぶ自由があり、服を通して自分の意見を堂々と述べられる。だからこそ、あまり保守的にならず刺激のあるものをこれからも作り続けたい」とも語る古田氏。自分の意思を主張すること、個性を表現すること、それはジェンダーに関わらずに認められる当然の権利です。古田氏は、それがまだ、完全に実現していない日本社会に、大きな問題提起をしているのかもしれません。ジェンダーを選ばない古田氏のデザインは、これからの日本ファッション界でも大きな潮流になっていくことでしょう。

参照:http://www.toga.jp/2022aw/toga/