世界のファッション文化を知りたい! アメリカと“ラルフ ローレン Ralph Lauren”編 

「アメリカの伝統ファッション」ができるまで

いま現在も、世界で最も存在感のある国・アメリカ。
「アメリカ」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

「アメリカといえば…ハリウッド映画だよね!」
「自由の女神!エンパイアステートビル!」
「宇宙開発、NASA!」
「いろんな人種のひとがいる!」
「マリンスポーツかな?西海岸のイメージ。カリフォルニアとか」
「ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学…世界一の名門校がある!」

ご存知の通り、まさに、近代世界をずっとひっぱってきた国がアメリカですね!
日本に暮らす私たちの身近な文化にも、アメリカからの影響は色濃く、無意識のうちにさまざまな“アメリカ文化”に触れ、楽しんできたと思います。

アメリカから来た映画、音楽、文学、コミック、Microsoft社やapple社のコンピューター…。
あらためて意識すると、アメリカ文化からは本当に絶大な影響をうけて暮らしてますよね!

しかしこの記事で語りたいのは、ハリウッドの映画のことでもなく、apple社の製品についてでもなく「アメリカから生まれたファッション」のことです。

おもに、アメリカ東部ではぐくまれた「アメリカン・トラディショナル」と呼ばれるスタイルを確立させたブランドについて語っていきたいと思います。
イギリスから独立して、イギリスとは違った文化を築き上げてきた若い国家であるアメリカ。

そんなアメリカならではの、オリジナリティを重んじる考え方や、若いパワーが支えるフレッシュな雰囲気が、じつはファッション文化にもずっと刺激を与えつづけてきたのではないでしょうか。
絶大なエネルギーを持つ「アメリカ文化」、いろんなルーツの人たちが肩を並べて暮らす「自由の国」について、“ファッション”という切り口から迫ってみたいと思います!

「アメリカン・トラディショナル」って、具体的にどんな格好のこと?

「アメリカのファッション」
…と、ひと口に言っても、いろんなテイストのブランドがありますよね。

それこそ西海岸のサーファーが着こなしているような、開放的でくだけたテイストのダメージジーンズとTシャツを着崩すマリン風カジュアルや、ニューヨークのビジネスマンがビシッと着こなす三つ揃いのスーツ、ウールでできた都会的なコート。

アメリカの服飾文化も、ひとつではありません。

ラルフ ローレン Ralph Laurenは、そんな数あるアメリカ発祥のファッション文化の中で、「アメリカン・トラディショナルの洋服ブランド」と称されています。
もちろん、アメリカン・トラディショナルを直訳すると「アメリカの伝統」ですね。
イギリス発祥の「ブリティッシュ・トラディショナル」と対比されて、そう称するようになっていった…ということのようですが、ラルフ ローレンに代表されるようなアメリカン・トラディショナルとは、具体的にどんな服装のことをいうのでしょう?

まず、アウターは、ピーコートやダッフルコート。
そのなかに、ダーツや絞りの無いシングルブレストの3つボタンの紺色ブレザーを着る、もしくは、カーディガンやセーターを着ます。
シャツは、オックスフォード生地のボタンダウンシャツを合わせます。

パンツはウールのパンツやチノ・パンツで、ブレザーやジャケットと、とも布でなくてもいいそうです。
そしてこの服に、ローファータイプの革靴や、ウィングチップなどを合わせて、「アメリカン・トラディショナル・スタイル」の完成です!
全体的な雰囲気としては、レトロなアメリカ青春映画で、若い男性スターが着こなしているファッションをイメージすると、わかりやすいのではないでしょうか?

ハリウッド映画製作でも活躍! ラルフ ローレン

1974年製作 映画『華麗なるギャツビー』より
出典:http://www.glamamor.com/2018/03/Great-Gatsby-style-Mia-Farrow-Robert-Redford.html

さて、ラルフ ローレンは、そんな由緒正しき「アメリカン・トラディショナル・スタイル」の服を販売する、代表的な服飾ブランドだ、と言われています。

なにせ映画大国アメリカの「伝統」ブランドだけあって、ラルフ ローレンは、ハリウッド映画衣装のデザインも、複数手掛けています。

1974年製作の映画、『華麗なるギャツビー』。
大スターのミア・ファローとロバート・レッドフォード主演の、往年の名作です。
この映画で、ラルフ ローレンはロバート・レッドフォードの衣装デザインを手掛けました。

当時の稀代のイケメン俳優であったロバート・レッドフォードがかっこよく着こなしている衣装、おおいに世の男性たちの購買欲をくすぐったことでしょう。「おれもラルフ ローレンの服が欲しい…!」という男性が続出したのでは…?!
これぞ、映画タイトルにも負けない「華麗なる」と言うにふさわしい、アメリカン・トラディショナル・スタイルですよね!
ハリウッド映画製作の現場でも活躍する「ラルフ ローレン」というファッションブランドには、いったいどんな歴史があるのでしょう?

ニューヨーク生まれの青年・ラルフのブランド

ラルフ ローレン Ralph Laurenという服飾ブランドは、1939年にニューヨークで生まれた一人の青年が創業しました。
この人の本名は、ラルフ・ルーベン・リフシッツ(Ralph Rueben Lifshitz)。

ラルフさんはニューヨーク市立大学でビジネスを学んでいたそうですが、2年間で中退してしまいます。その後はアメリカ陸軍で2年過ごしたあと、除隊。

ここまでの経歴だと「若いころのラルフさんは、けっこうぶらぶらしてるモラトリアム青年だったのかな~」と思ってしまいますが…。

このラルフ青年がつぎに就職したのは、アメリカ随一の衣料品店である「ブルックス・ブラザーズ Brooks Brothers」でした。

デザイナーとしてのキャリアは、一本の“ネクタイ”から?!


リンカーンが暗殺されたときにも「ブルックス・ブラザーズ」のコートを着ていた…という有名な話もありますが、いまもむかしも、歴代アメリカ大統領御用達の、由緒正しき米国紳士服ブランドといえば「ブルックス・ブラザーズ」です。

なかなかの一流服飾店に就職することができたラルフ青年。
ブルックス・ブラザーズでは、ネクタイ売り場で働いていました。

そこでラルフ青年が思いついて販売しはじめたのが、4インチ幅の“ワイドネクタイ”です。
この品物は、そのころブルックス・ブラザーズが扱っていたネクタイよりも幅が広くて、素材もラグジュアリーで上質だったそうです。

ラルフ青年発案の“ワイドネクタイ”は、スマッシュヒットの売上げを記録します。

そして1967年には、ラルフ青年はネクタイメーカーのボー・ブランメル社に、デザイナーとして迎えられることとなります。

このへんの経緯は、ほんのりアメリカン・ドリームっぽい香りがしますよね。
軍隊除隊後の就職先のブルックス・ブラザーズで、一介のネクタイ販売員をしていた青年がヒット商品をつくって、デザイナーとしてヘッドハンティングされるとは!

さて、このあとのラルフ青年は、ブルックス・ブラザーズで作った“ワイドネクタイ”を足掛かりにして転職したボー・ブランメル社から、メキメキ頭角をあらわしていくことになるわけです。

たったひとつのネクタイ商品のヒットから、いまのアメリカと世界のファッションをけん引する服飾ブランドが生まれたとは…。

ラルフ青年はきっと、機転の利くようなタイプの…いわゆる「アイデアマン」のようなヒトだったのではないでしょうか?
いままでにない商品を考え出す傑出した発想力が、ラルフ氏をここまで出世させたんじゃないかな~、と思います。

ついにファッションブランド「ラルフ ローレン Ralph Lauren」が誕生!

ブルックス・ブラザーズの次に、デザイナーとして職を得たボー・ブランメル社で、ラルフ氏は「ポロ POLO」という名前のネクタイレーベルを展開させます。
その「ポロ」のネクタイ製品も、ことごとくヒットをとばしたようで、当時の若いヒトたちに大人気のネクタイだった…といいます。

成功体験を重ねたラルフ氏は、ついに1968年に、独立してビジネスをはじめることを決めます。
「ポロ ラルフ ローレンPOLO Ralph Lauren」という、自身の名を冠したブランドとして、メンズコレクションを発表しました。

ラルフ ローレン公式サイトによると、最初のコレクションには「ホワイトフランネルのスーツ」「カジュアルシャツファブリックを使用したドレスシャツ」…をラインナップしたのだとか。


スーツって、たぶんこの時代の品物も、黒っぽかったり、紺色だったり、茶色だったり、そういう暗めの色のチェック柄だったり、というようなものが多かったのでは?(いまも多くのスーツは、黒やグレーや紺色ですよね。)

それを、なんと「ホワイト」…真っ白のフランネル生地で作っちゃったわけですね!
なんというか、ハデで、めちゃくちゃ新しいスタイルですね!
ロバート・レッドフォードみたいな伊達男が着たら、そりゃ華やかですよね。

新しいもの好きのアメリカファッション界。ラルフ ローレンは、服飾ブランドとして、見る間に「アメリカのファッション」の主役に躍り出ました。

独立した2年後の1970年には、ラルフ ローレンは「コティ賞」を受賞し、全米服飾業界にその名を知らしめたのです。コティ賞とは、「アメリカファッション界における“アカデミー賞”」ともいわれていて、米国服飾業界ではいちばん権威ある賞なのだそうです。

それからのラルフ ローレンの全世界でのブレイク、大ブームはみなさんご存知のとおり。
日本でも、バブルのころは「紺ブレ」がおおはやり。ラルフ ローレンのブレザーは、バブル時期の若者がいちばん欲しいアイテムだったのですね。

若者のあふれる野心が育てた「アメリカの伝統ファッション」

ニューヨークで生まれたラルフ氏が育った家は、ベラルーシ系アシュケナージ・ユダヤ人の移民の家系でした。
家屋塗装業を営んでいましたが、ラルフ氏が子供のころは貧しい暮らしだったのだそうです。

若かりしラルフ青年は、進学したニューヨーク市立大学にも、たぶん馴染めなかったのでしょう。だから、たった2年でやめてアメリカ陸軍に入隊したのかもしれません。
人知れぬ苦労や悔しい思いもあったでしょうし、いつか、自分の手でぜったい一旗あげてやる…!という思いも、幼いころから抱いていたのではないでしょうか?

イギリスから独立した、まだ若い国であったアメリカの土壌は、そんなラルフ青年の野心を受け止め、ともに成長してきたのだと思います。

面白いことに「伝統」を表す“アメリカン・トラディショナル”の服飾ブランドのラルフ ローレンは、そんな負けん気と若いエネルギーが育てた、若き人に支持されるファッションブランドとなりました。

ラルフ氏の手掛けた洋服たちにも、やっぱりどこか、古き良きアメリカの「アメリカン・ドリーム」の香りが漂うのです。
むかしの映画スターが粋に着こなしていた服のエッセンスが、いまのラルフ ローレンのカジュアルでさっぱりとした、清潔感漂う洋服のなかにも息づいています。

まさに、若者たちの、エネルギーあふれる美しさを引き立てるような服なのです。

ファッションブランドから見えた「アメリカ」の景色


「世界のファッション文化を知りたい! アメリカとラルフ ローレン編」、いかがでしたか?

アメリカはさまざまなカルチャーの発信地でもあり、世界中のトレンドや、言論や思想さえもひっぱっていく、世界のリーダー的な国家、といえます。

そんな発信力に長けたアメリカは、斬新なファッションスタイルを提案して、その服飾文化を世界中に拡大し、大きく育てあげていくことは大得意なのかもしれません。
さまざまな側面を備えたアメリカという国について…ファッション文化から調べてみましたが、筆者としてはさらに興味がわいてきてしまいました。

今後も知らない国々を旅するように、その国発のファッションブランドを紹介していけたらいいな、と思います!

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DOW?は、斬新なデザインと機能性を兼ね備えた、新時代のオフィス・ウェア開発に取り組んでいます。
才気あふれるファッションデザイナーと手を組み、日本のオフィスでひときわ輝く、美しいオフィス・ウェアファッションを提案します。