生き様も映えた女優マリリン・モンローの華麗なる経歴とのファッション

マリリン・モンローは、金髪でぽってりとした唇、そしてほくろが印象的な1950年代を代表とする女優です。
当時、オードリー・ヘップバーンと比べられることが多く、「セックスシンボル」などと言われましたが、素顔の彼女は芯のある聡明な女性だったと言われています。
そんな彼女のスクリーン上のファッションを中心に、私的なファッションも紹介します。

マリリン・モンローの生い立ち

1926年生まれのマリリン・モンローは残念ながら36歳の若さでこの世を去るわけですが、今なお多くの人を魅了し続けています。
名を馳せている彼女ですが1947年にアーサー・ピアソン監督の映画「デンジャラス・イヤーズ」に端役で出演し、その後も1949年の「ラヴ・ハッピー」などに出演するも、ずっと端役どまりでまるで注目されませんでした。
ですが1951年にフリッツ・ラング監督の「熱き夜の疼き」で女工役を演じ、ようやく翌年の1952年に「ノックは無用」で初主演を果たしました。
それから1953年公開の「ナイアガラ」をはじめ「七年目の浮気」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」などの映画に出演して、マリリン・モンローの人気は不動のものとなりました。

恋多き女マリリン・モンロー

マリリン・モンローは私生児で母親が入院していることが多く、親戚や里親のもとを転々とし、孤児院で過ごしたこともありました。
16歳で結婚して、なんと工場で働いているところを1944年にスカウトされ、モデルとしてデビューします。

出典:https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/g29706401/rare-photos-of-marilyn-monroe27/?slide=8

その後女優に転身して、離婚後に仕事に専念するようになりました。
1954年1月14日、元ニューヨークヤンキースの野球選手ジョーディマジオと2度目の結婚をします。新婚旅行は日本でしたが、こちらもわずか9ヵ月の結婚生活でした。
そして1956年に劇作家のアーサーミラー氏と3度目の結婚をします。
彼はマリリン・モンローのために脚本を書く仕事などもしましたが、1961年に離婚しました。

マリリン・モンローの代表的な映画のファッション

映画史上最も象徴的な衣装に選ばれたのが、マリリン・モンローが1955年に「七年目の浮気」で着用した、ウィリアム・トラヴィーラによってデザインされた、ホルターネックの明るいアイボリーのカクテルドレスです。
1950年代から60年代にかけて流行したスタイルのドレスで、マリリン・モンローのためにデザインされたものではないとも言われていますが、彼女の体形を最大限に生かすデザインでした。
このドレスは、胸のすぐ下にベルトがついていて、そこから自然なウエストラインが強調され、ベルトの下は軽くプリーツの入ったスカートが女性的な柔らかさを醸し出しています。
映画の公開以来、通気溝の風がこの白いドレスを巻き上げるシーンが、世界中で大人気となりました。

時代は前後しますが、1949年の「ラヴ・ハッピー」は、脇役としての出演でしたが、劇中でマリリンはセクシーなドレスに身を包み、ミンクのストールを手に持って登場します。
このミンクのストールはウェスタン・コスチューム社が制作したもので、明るい茶色の毛皮にサテン地の裏地が施されているものでした。
この頃から、ミンクのストールが流行り出しました。

「紳士は金髪がお好き」は1953年の作品で、豪華客船の中で事件に巻き込まれるミュージカルラブコメディです。
ファッションショーさながらに次々とクオリティの高いデザインの衣装が登場します。
中でも、クライマックスシーンでモンローがピンクのドレスで「ダイヤが一番」を歌い踊る場面では、その美しさに多くの人が感激しました。
同じく1953年公開の「ナイアガラ」では、ナイアガラの滝の前でスリラー映画ナイアガラの宣伝のために撮った、ブルーのスーツのポスターが印象的です。

出典:https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/g29706401/rare-photos-of-marilyn-monroe27/?slide=13

同年に公開された1953年の作品「百万長者と結婚する方法」は、オスカーで衣裳デザイン賞にノミネートされました。
この作品は、大金持ちとの結婚をもくろむ庶民の美女三人組のロマンチックコメディです。
モンローは、極端に近眼の女性をコミカル、かつチャーミングに演じ切っていますが、絶世の美女だけど実は近眼という役どころで、男性の前以外では分厚いレンズのメガネをかけています。
このメガネメが上映後人気となったそうで、メガネがファッションを引き立てる強力なアイテムとして認められることになりました。

1954年ウォルター・ラング監督の「ショウほど素敵な商売はない」で着用したストラップレスドレスとファーコートも多くの人の注目を集めました。

「バス停留所」は、1956年の作品です。三流酒場で酔客の相手をさせられながら歌う歌姫と、田舎から出て来たカウボーイが恋するラブコメディです。劇中に登場する青いウロコ模様の舞台衣装が、彼女の肌の白さと引き締まったウエストを引き立てています。

1959年公開の映画「お熱いのがお好き」で着用した、透ける素材のきらびやかな黒のカクテルドレスも有名です。「お熱いのがお好き」では、マリリン・モンローにゴールデン・グローブ賞が授与されました。

翌年に公開された1960年の映画「荒馬と女」が彼女の遺作となります。いずれの作品でもセクシーさとコミカルさに加え、彼女独特の甘くハスキーな声を活かした歌いっぷりも人気の要因となり、現在もなお多くのファンを得ています。

演出上手なマリリン・モンロー

マリリン・モンローと言えばお尻を振りながら歩く「モンローウォーク」や「ハスキーな声とユニークな歌い方」が印象的な女優です。
彼女は、腰を大きく左右に振ってセクシーさを強調して歩くために、左右で高さの違うヒールを履いて歩く練習をしたと言われています。
またお馴染みのブロンドの髪は、本来の褐色の髪を染めたものだそうです。
掴んだチャンスは逃がさない強い決意とともに、自分を演出する力を持った女性と言えるでしょう。

抜群のスタイルとは言えなかったマリリン・モンロー?

彼女は、身長164cm、体重53.5g、スリーサイズはB94 W61 H86でした。
理想的に思えるバランスですが、ウエストに比べてバストが大きいため、ウエストの細さを強調するドレスを好んで着ていたようです。
体のラインを極限までにセクシーに見せるポーズを、日々研究していたと言われています。
実際細いウエストをキープするため、毎朝のジョギングやウェイトトレーニングも欠かさなかったようです。
マリリン・モンローは自分の持つ魅力を知り、最大限に引き出しために日々鍛錬をしていたのです。

「シャネルの5番」

「ベットでは何を着て寝ていますか?」との記者の質問に「シャネルの5番よ」とマリリン・モンローが答えたのは有名で、一糸まとわぬ彼女の寝姿を想像した男性も多かったようです。
CHANEL(シャネル)の創業者であるココ・シャネルが初めて世に送り出した香水「シャネルNo.5」は、マリリン・モンローの発言後に大ブレイクしました。

フェラガモのパンプス

イタリアの人気ファッションブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」のシンプルなデザインのパンプスを、マリリン・モンローは好んで履いていました。
当然のことのように、このパンプスは多くの愛用者を得ることとなりました。

マリリン・モンローの私服

出典:https://mi-mollet.com/articles/-/3772?layout=b

マリリン・モンローの私服のデニム姿の写真が残っています。
リーバイスが1950年代に初めて女性用のデニムを発売した記念すべき「701モデル」です。
ハイウエスト仕様で、ストレートシルエットが特徴のこのデニムは、男性の作業服というイメージが強いものの、マリリン・モンローが私服として着用したことで、女性の間で人気となりました。
現在でもこのデザインは、「モンローデニム」と呼ばれています。
このデニムのパンツに、1916年にアメリカで誕生したスニーカーブランド「ケッズ」を合わせるのがマリリン流カジュアルファッションでした。

勇敢な生き様を残した彼女の人生

マリリン・モンローは、「他人になりたがるのは、自分という人間をムダにしてるってことよ」と言っていたようですが、その生き様は彼女のファッションにも投影されています。
自分の持つ魅力を自らの力で最大限に引き出し、模倣ではなく自分を確立していった偉大なる女優さんの一人だたっと言えるでしょう。

ファッションだけでなく、彼女自身の人生からも学ぶところが多くありそうです。