無名のファッションデザイナーたちが服飾の歴史をつくった~古代から中世の服飾史~
アダムとイブ 出典:https://kaigablog.com/adam-and-eve/
私達が現在身にまとっている洋服。その起源について考えてみたことがありますか?最初に衣服を身に着けたのは、聖書に登場するアダムとイブだという人もいます。確かに禁断の木の実を食べた2人は急に羞恥心を覚えてイチジクの葉を身に着けたそうです。神話なのか真実なのかは別にして、最初の衣服は質素なものだったというのは確かでしょう。そこから次第に変化し、時には華やかに、時には厳かに、そして機能的に進化してゆく衣服。古代から近世にかけての長い歴史の中に存在した衣服からは現代に影響を与えるデザインも多くありました。しかし、まだまだ、「ファッションデザイナー」という概念は無く、歴史の中の多くの名もなき人達がファッションの礎をつくっていったのです。
文明と服飾は密接に関係する~古代文明のファッション~
人類が誕生してから、しばらくは先にご紹介したように質素なものを身にまとうといった生活だったと考えられています。動物の毛皮や植物を使用して身体に巻き付けるだけのものと考えられていて、主な目的としては防寒や皮膚の保護でした。その後、文明が興る過程で、服飾というものが非常に重要視されるようになってゆきます。
それは、「その人の属性」を表すようになったからです。文明が興ると「身分」が形成されていきます。その身分を表すものの一つとして、衣服が進化していきます。古代文明を代表するローマ帝国と古代エジプトの服装を見てみましょう。
「トガ」を正装とするローマ帝国のファッション
出典:https://kusanomido.com/study/history/western/52888/
ローマ帝国の服装と言えば「トガ」です。トガとは映画や彫刻などで多くの方が目にしている、一枚布を身体に巻き付けたウール素材の衣服です。国家が成立した時代では、まだ布も小さく、老若男女多くの人が身につけるカジュアルなものでした。
しかし、時代が進むにつれてトガは男性の正装となっていきます。衣服自体のボリュームも大きくなり、長方形のものだと3メートルx5メートルのものまであったようです。当然、着用するときには一人では切られませんから、何人かで着付けをしていたといいます。
そして、このころから、身分によって着用する衣服が厳しく規定されるようになります。一般庶民は、染色をしていない羊毛の色そのままのトガを着用していました。それと比較して、役人や祭司、騎士など、身分の高い人達は、紫や赤紫など、染色されたものを着用していました。将軍や皇帝など、さらに身分の高い人になると、金糸の刺繍が施された非常に豪華なものを着ていたようです。一方で、奴隷や外国人など、ローマ市民でない者は、トガを着用することを許されていませんでした。トガはローマ市民の証でもあるのです。ただ、トガを着用するのは前述のように、手間がかかるため、多くのローマ市民は日常着として「トゥニカ」というチュニックを着ていたようです。女性もほとんどの場合はチュニックを着用していて、上流階級の女性では、ウールではなく絹や綿を素材として使用していました。
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これらの衣服は、ローマ時代には職業が分業化されていたので、トガやトゥニカを作る職人も存在していたと思われます。また、この時代には、大劇場で演劇などもおこなわれていたので、舞台衣装のデザイナーが存在していたようです。
古代エジプトは「木綿」をメインとした衣服だった
出典:https://open-rootbox.com/fashion/egypt_fashion/
古代ローマと並ぶ文明である、エジプト文明。こちらも衣服で身分の違いを表していました。特徴的なのは、ローマ帝国とは違い、素材に麻や木綿を使用していたことです。これには気候的な違いがあると考えられます。ヨーロッパ大陸を支配していたローマ帝国とは違い、エジプト文明はアフリカ大陸に位置しており、紀元前の時代でも、かなりの酷暑でした。そのため、通気性が良い素材が重宝されていたのです。
その暑さから、衣服もシンプルで、日本の「ふんどし」のような布の下着を着用して、その上から布を巻くというスタイルでした。女性では肩紐があるワンピース型の衣服が多かったようです。どちらも麻が主な素材で、男性は腰布の巻き方や長さなどに流行があったといいます。女性は、足首までのワンピースで、質素なアクセサリーも身につけていたといいます。ただし、奴隷など身分が低い者は短い丈の衣服を強いられていたようです。
5出典:https://open-rootbox.com/fashion/egypt_fashion/
男女ともに暑さを凌ぐため、肌を露出していて基本的な衣服はシンプルなものでした。その傾向は、上流階級の人々や、ファラオと呼ばれる王も同様です。ローマ帝国のような重厚な衣装ではなく、腰巻きやワンピースのアレンジ、そして、豪華絢爛なアクセサリーや被り物で権威を誇示していました。
例えば、上流階級では異文化のものを取り入れるのが流行していたようで、腰巻きも東洋風なものやローマ帝国からの素材を使用するなど、華美なものを身につけていたようです。長く続いた文明ですから、ファッションのトレンドも移り変わりは多かったようで、一部の役人ではワンピースのような衣服を着ている時代もありました。
ファラオも王は腰巻き、女王はワンピースと庶民と大きく変わりませんが、素材や刺繍など高級品を身に着けていました、そして、多くの方も御存知の通り、エジプト文明は装飾品が権利の象徴となっていて、被り物やネックレスなど黄金をふんだんに使用したものが多く知られています。余談ですが、エジプトでは「顎ヒゲ」も権威の象徴となっていて、高貴な人の棺にはヒゲの飾り物があることが多いです。多くのファラオは付け髭をしていたと言われていて、少年王であったツタンカーメンや一部の女王も装飾品として付け髭をしていたようです。
古代文明で活躍していたファッションデザイナーたち
先史時代の衣服は、防寒や肌の保護など、機能性が重視されていました(一部にはアクセサリーなども発見されています)。文明ができて、社会活動がはじまると、階層が形成されて人々は階層別に区別されるようになります。そこから、衣服は階層を表すものとなりました。一方では、服装を差別化するためには美しく見せる技術や、着心地を追求する技術も必要になります。そこから、服飾は流行や様式という現代につながるものを次々と生み出していったのです。
その影には、現代では知ることの出来ない、優れたデザイン、パターン、縫製を生み出した「ファッションデザイナー」とも言える人々が必ず存在していたはずです。古代ローマの遺跡では、多くの衣服も見つかっています。また、彫刻や絵画など、当時どのような衣服を着ていたのかがわかるような資料も非常に多く残されているのです。
古代エジプト文明も同様です。エジプトはピラミッドを始めとする王墓など多くの遺跡が存在していますから、当時の暮らしを詳しく知ることが出来ています。
最後に、古代エジプトの遺跡で発見された世界最古のドレスをご紹介しましょう。20世紀の初頭ですから、かなり以前に発見されていた衣服です。エジプトの首都カイロから50キロほど離れたタルカンという場所で見つかったので「タルカン・ドレス」と呼ばれています。
タルカン・ドレス 出典:https://okamotoorimono.shop/news/60cc50cd46e30e63185e6922
この衣服が2016年に詳しく調査されたところ、5100年から5500年前のエジプト初期王朝時代であることがわかったのです。この年代の織物の衣服としては、世界最古ということになります。麻などの植物繊維で出来ている衣服は、ほとんどがすぐに劣化してしまい、これほどの状態で発見されるのは奇跡的だと言われています。
タルカン・ドレスの大きな特徴は、現代で言う「Vネック」とタイトな袖周り、そして肩から袖にかけてのドレス上部には、驚くことにプリーツがつけられているのです。画像はシャツのようですが、もともとはヒザ下までのワンピースだったと考えられています。そして、細部まで考えられたシルエットや縫製は、現代であっても違和感なく受け入れられる程のクオリティと言っても過言ではないでしょう。
着ていた人は当時の王族など高貴な人と考えられ、これほどのドレスを作るとなれば、お抱えの仕立て職人がいたのかもしれません。つまり、古代文明にも、クチュールデザイナーが存在していたとの想像も広がります。
数千年も以前から、服飾は人間社会にとって重要な位置を占めていて、それを支えていた言わば「古代文明のファッションデザイナー」たちも、建築や土木、医学、祭祀などと同様に重要な仕事と認識されていたのかもしれません。
次回の「ファッションデザイナーの歴史~世界編②~」では、中世から近世をご紹介する予定です。